モーツァルトの生誕地ザルツブルクは、4つの国際的な音楽祭「モーツァルト週間」、「イースター音楽祭」、「聖霊降臨祭音楽祭」、「夏の音楽祭」が開催される音楽祭の街として知られますが、世界遺産に登録されている旧市街と近郊のザルツカンマーグートは、観光的にとても魅力的です。6月までにその魅力をシリーズで5回、お届けします。
画像: ホーエンザルツブルク城と大聖堂

ホーエンザルツブルク城と大聖堂

ザルツブルク音楽祭の歴史

ザルツブルクで毎夏開催されるザルツブルク音楽祭は、オペラ、オーケストラ演奏会、室内楽演奏会、リサイタルなど、クラシック音楽のすべての分野を網羅した世界最大規模の音楽祭です。また音楽界の最高峰ウィーン・フィルがホスト役を務めているため、まさに最高水準の音楽が提供されています。

その歴史を紐解くと・・・1842年モーツァルト像の建立を記念して、ザルツブルクで初めての音楽祭である「モーツァルト音楽祭」が催され、次いで1852年には建立10周年記念音楽祭、さらに1856年にはモーツァルト生誕100年記念音楽祭が催されました。そして1878年に開催された本格的な音楽祭が、今日のいわゆる「ザルツブルク音楽祭」の前身です。

画像: モーツァルト像

モーツァルト像

1917年演出家マックス・ラインハルトの提唱でザルツブルク祝祭劇場協会が発足し、作曲家リヒャルト・シュトラウス、指揮者フランツ・シャルク、劇作家フーゴー・フォン・ホーフマンスタール、舞台装置家アルフレート・ロラー等が芸術顧問になり準備が進められました。1917年と言えば、まだ第一次世界大戦中の混乱期で、1918年には戦争終結と同時に「ハプスブルク帝国」が崩壊し、経済的にも疲弊した状況にありました。ラインハルトは、そのような激動の時期こそ精神的な基盤となる芸術祭が必要であると主張し、そのための最適な場所としてザルツブルクを選びました。ザルツブルクという美しい街そのものがあらゆる芸術の舞台になるからです。そして1920年8月22日大聖堂前広場でホーフマンスタールの「イェーダーマン」(ラインハルト演出)が初演され、「ザルツブルク音楽祭」(日本では長年「ザルツブルク音楽祭」としているが、むしろ「ザルツブルク芸術祭」とした方が正しい)が開幕しました。

画像: ザルツブルク大聖堂

ザルツブルク大聖堂

「イェーダーマン」は中世の寓意劇をホーフマンスタールが改作したもので、ある金持ちの生と死と魂の再生が描かれた、極めて単純明解な作品です。主役はウィーンのブルク劇場の人気俳優が演じ、今でも毎年オープニングに上演されている音楽祭のシンボル的な存在です。作曲家シュトラウスはベルリンでラインハルト演出の舞台「サロメ」(オスカー・ワイルド作)に出会い、オペラ「サロメ」の作曲へと動きました。ホーフマンスタールはウィーン生まれの詩人・劇作家で、シュトラウスのオペラ「エレクトラ」、「バラの騎士」、「アラベラ」など6つの作品の台本を書きました。そのきっかけはシュトラウスが、ラインハルト演出のホーフマンスタールの一幕劇「エレクトラ」を観たことでした。やがてシュトラウスとホーフマンスタールが作ったオペラをラインハルトが演出するようになり、音楽祭創始者3人の親密な関係ができたのです。

画像: ザルツブルク祝祭大劇場

ザルツブルク祝祭大劇場

1921に音楽の演目が追加され、初めて演奏会が、1922年にはオペラ公演(シュトラウス、シャルクが指揮)が行われ、「ドン・ジョヴァンニ」などモーツァルトの4つのオペラが上演されました(演奏はウィーン・フィルが担当)。1925年に祝祭劇場が落成(現在のモーツァルト劇場)し、オペラの演目が年々増え(ワーグナーやヴェルディなど)、1927年にはベートーヴェン没後100年に「フィデリオ」が上演されました。
1934年にはトスカニーニが加わり戦前の黄金期が築かれました。トスカニーニ指揮の「フィデリオ」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は音楽祭史上に輝く公演だったと言われています。しかし1938年オーストリアはナチス・ドイツに併合され、反ナチ(トスカニーニ)やユダヤ系(ラインハルト)の芸術家は一掃されてしまいました。戦後は逆に戦中に活躍した芸術家が活動停止処分を受け、街も空爆で破壊されていたにもかかわらず、1945年8月12日音楽祭は開催されました。1947年フルトヴェングラー、ベーム、クレンペラーが活動を再開し、1950年代にはフルトヴェングラー支配下で(1954年まで)、再び黄金時代を迎えました。

画像: 生誕110年を迎えるカラヤンの銅像

生誕110年を迎えるカラヤンの銅像

1957年にザルツブルク出身のカラヤンが芸術監督として復帰(1948年に華々しいザルツブルク・デビューを果たしていた)、1960年には祝祭大劇場の完成により新時代が始まります。その当時ウィーン国立歌劇場ミラノ・スカラ座、ベルリン・フィルに君臨し、音楽界の「帝王」と呼ばれていたカラヤンは大劇場をフルに活用し、コンサートばかりでなく、オペラも精力的にこなし(多くの作品で自ら演出も手がけた)、ザルツブルクでも確固たる地位を確立しました。

画像: フェルゼンライトシューレ

フェルゼンライトシューレ

音楽祭は約40日間の期間中に、演劇・オペラ・コンサートなど180前後の公演で約25万人の観客を動員しています。音楽主会場は、1960年に完成し、カラヤン指揮の「バラの騎士」で柿落しをした祝祭大劇場、2006年のモーツァルトイヤーに改築したモーツァルト劇場(旧祝祭小劇場)、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の撮影場所としても知られるフェルゼンライトシューレ、室内楽の主会場となるモーツァルテウム大ホールです。

画像: モーツァルト劇場

モーツァルト劇場

終身芸術監督だったカラヤンの死後(1989年)、12年間ベルギー人劇場支配人モルティエ、5年間ドイツ人作曲家ルジツカ、4年間ドイツ人演出家フリムが後任に就き、それぞれ独自のコンセプトで音楽祭を導きました。フリムが契約を1年残してザルツブルクを去ったため、2011年だけはコンサート部門監督でピアニストのヒンターホイザーが音楽祭を指揮しました。2012年には待望のオーストリア人の劇場支配人ペライラが芸術監督に就任し、2017年からヒンターホイザーがその後任として音楽祭に復帰しています。
2006年のモーツァルトイヤーは、モーツァルトのオペラ22作品すべてを上演するという壮大な企画が実現し、音楽祭の歴史に残る年でした。特に2012年以降は、複数のグランド・オペラが復活し、より多くのスター歌手が招聘され、勿論指揮者や演奏家も豪華な顔ぶれになり、どのオペラ公演、演奏会も最高のパフォーマンスが楽しめるようになりました。そして会場周辺は、カラヤン時代を彷彿とさせる華やいだ独特の雰囲気も戻りました。

画像: 華やいだ雰囲気に包まれた祝祭大劇場前風景

華やいだ雰囲気に包まれた祝祭大劇場前風景

今年は7月20日~8月30日に開催、18の会場で206の公演が催されます。オペラの注目は音楽祭で最も上演回数の多いモーツァルトの人気作品「魔笛」、演奏会の注目はホスト役のウィーン・フィルをムーティやF.ヴェルザー・メストが指揮します。客演オーケストラの常連ベルリン・フィルは次期音楽監督ペトレンコが指揮します。
クラブツーリズムでは、ザルツブルク音楽祭を訪れるツアーをご用意しています。

画像: 【クラブツーリズム 音楽の旅】 旅の文化カレッジ講師 山本 直幸 ベルリン留学中6年間、オペラ・コンサート通いの日を送る。 特にヨーロッパの歴史や音楽・美術への造詣が深く、長年音楽旅行企画に携わり、ツアーにも同行し現地で案内役も務める。海外添乗・駐在日数は4,000日以上。音楽雑誌等に音楽旅行記事を多数寄稿。

【クラブツーリズム 音楽の旅】
旅の文化カレッジ講師 山本 直幸
ベルリン留学中6年間、オペラ・コンサート通いの日を送る。
特にヨーロッパの歴史や音楽・美術への造詣が深く、長年音楽旅行企画に携わり、ツアーにも同行し現地で案内役も務める。海外添乗・駐在日数は4,000日以上。音楽雑誌等に音楽旅行記事を多数寄稿。

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