ザルツブルクは、メンヒスベルクとカプツィーナーベルクという2つの山にはさまれ、中央をザルツァッハ川が流れ、緑豊かな自然とバロックの建物が見事に調和した箱庭のような小さな街です。世界遺産に登録された歴史地区は、アルプスの北でいち早くキリスト教の洗礼を受け、大司教が治める教会国家として繁栄した約1000年の歴史が伝わってきます。歴史散策は、ザルツブルク訪問の魅力でもあります。
画像: カプツィーナーベルクから眺めた世界遺産ザルツブルク歴史地区

カプツィーナーベルクから眺めた世界遺産ザルツブルク歴史地区

ザルツブルクの歴史は・・・

その支配者であった大司教の歴史と言っても過言ではありません。最初にザルツブルクの大司教になったアルノから最後のヒエロニムス・フォン・コロレードまで、年代でいうと798年から1803年まで、ザルツブルクの1000年にも及ぶ長い歴史のページをめくっていたのは大司教たちだからです。

画像: ザルツブルク大聖堂

ザルツブルク大聖堂

バロックの街

ザルツブルクの美しさの象徴でもあるバロックの街造りを始めたのは、大司教ヴォルフ・ディートリヒでした。母方がメディチ家出身のヴォルフ・ディートリヒはローマに学び、ローマを愛し、自分の治めるザルツブルクを「ローマ」にしようと、中世の古い街並(ロマネスク、ゴシック、ルネサンスの各様式)を一掃し、ローマに多く見られるような円蓋を特徴とするバロック様式の建物を建てさせました。その熱意は建て直すために、自ら火を放ってロマネスク様式の大聖堂を焼き落としてしまったとまで噂されたほどです。

画像: 大学教会

大学教会

その後を継いだマルクス・ズィティクス、パリス・ロドロン、ヨーハン・エルンスト・トゥーン、アントン・ハラッハたちの治世に、フィッシャー・フォン・エルラッハやルーカス・フォン・ヒルデブラントなどバロック建築の巨匠らが招かれ、「北のローマ」と言われるような現在のバロックの街並みが完成したのです。特にトゥーンの治世に三位一体教会、大学教会、ミラベル庭園などが完成し、バロック全盛を迎えました。シューベルトは、1825年にザルツブルクを訪れたときに、そのバロックの美しい街並にとても感動したという逸話も残されています。

画像: ミラベル庭園

ミラベル庭園

塩の街

ザルツブルク(Salzburg)を直訳すれば「塩の城」です。ザルツブルクに最初の司教としてやって来た聖ルペルトゥスがライヒェンハルの製塩所を再開、以後司教・大司教の懐は塩のおかげでとても豊かでした。13世紀末には大司教国領内のハライン・デュルンベルクの塩坑開発で、大量の塩が産出できるようになりました。塩は生命維持のために不可欠なものですが、その昔は、調味料や食物の保存料としてばかりでなく、金銀細工や魔除けの儀式などにも重く用いられたことから、金貨に換え得るほど高価で貴重なもので、「白い黄金」とまで形容されました。ザルツブルクの支配者になった大司教たちは、まさに白い黄金の「塩」で立派な「城」を築いたのです。

画像: 裏側から眺めたホーエンザルツブルク城

裏側から眺めたホーエンザルツブルク城

ザルツブルクのシンボル「ホーエンザルツブルク城」

11世紀に大司教や司教など高位聖職者の任命権をめぐって皇帝と法王の対立が表面化したのが、いわゆる「叙任権闘争」です。1060年に大司教になった聖ゲープハルト(~1088年)は、神聖ローマ帝国内の多くの諸侯が皇帝側に立つ中、ローマ法王の忠実な臣下として法王に加担したため、とても危険な状態に陥りました。それで自分の支配地を守るために、ゲープハルトは1077年にザルツァッハ川から高さ120m、360度視界のきく山の上に、難攻不落の要塞、ホーエンザルツブルク城の建築を始めたのです。そして現在のような規模に拡張したのが、1495年に大司教になり、塩で莫大な財を成したレオンハルト・フォン・コイチャッハでした。

画像: モーツァルト広場にあるモーツァルト像

モーツァルト広場にあるモーツァルト像

教会国家崩壊後

ナポレオン率いるフランス軍の侵攻により、ホーエンザルツブルク城はその長い歴史の中で初めて占拠され、最後の大司教コロレードは、1803年3月12日にその地位を奪われました。教会国家ザルツブルクは1000年の歴史に幕を閉じたのです。その後ザルツブルクは荒廃していきますが、街に息を吹き込んで、再生させたのがモーツァルトです。1842年9月4日、モーツァルトの記念像の除幕式に際し、モーツァルトを偲んで催された記念音楽祭が出発点で、1920年に創始された現在のザルツブルク音楽祭が、世界最大規模の国際音楽祭に発展したからです。

画像: 街は明るいうちから華やいだ雰囲気に・・・

街は明るいうちから華やいだ雰囲気に・・・

音楽祭期間中にザルツブルクを訪れると、他の街とは明らかな違いを感じます。それは歴史に彩られた旧市街を、あたかも溶け込むようにタキシードやイブニングドレス姿の人たちが行き交うからです。このような独特の華やいだ雰囲気は、日本では決して味わうことのできないザルツブルクならではの魅力の一つです。

画像: 歴史を感じさせる看板が美しいゲトライデ通り

歴史を感じさせる看板が美しいゲトライデ通り

クラブツーリズムでは、ザルツブルク音楽祭を訪れツアーをご用意しています。ザルツブルクへは、是非音楽祭期間中にお出かけください。

画像: 【クラブツーリズム 音楽の旅】 旅の文化カレッジ講師 山本 直幸 ベルリン留学中6年間、オペラ・コンサート通いの日を送る。 特にヨーロッパの歴史や音楽・美術への造詣が深く、長年音楽旅行企画に携わり、ツアーにも同行し現地で案内役も務める。海外添乗・駐在日数は4,000日以上。音楽雑誌等に音楽旅行記事を多数寄稿。

【クラブツーリズム 音楽の旅】
旅の文化カレッジ講師 山本 直幸
ベルリン留学中6年間、オペラ・コンサート通いの日を送る。
特にヨーロッパの歴史や音楽・美術への造詣が深く、長年音楽旅行企画に携わり、ツアーにも同行し現地で案内役も務める。海外添乗・駐在日数は4,000日以上。音楽雑誌等に音楽旅行記事を多数寄稿。

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