新しい時代だからこそ、しっかり見つめ直したい「沖縄戦」

こんにちは、沖縄行きツアーを担当している富田です。
平素は弊社をご愛顧いただきありがとうございます。

突然ですが、先日沖縄戦の戦跡を訪ねてきました。
日ごろは、職務上観光地やホテルへ下見に行くことが多いのですが、沖縄行きツアーを担当する上でどうしても訪れたかったのが沖縄戦の戦跡でした。

青い海と空が広がり、温かい島人(しまんちゅ)と美味しい泡盛、オリオンビールが訪れる人々(私もそのひとりです)を魅了する沖縄ですが、そう遠くない昔、悲惨な戦争があったことに目を背けることはできません。

今日は、今回私が訪れた沖縄戦の戦跡をご紹介すると共に、この下見に基づいて企画したツアーをご紹介します。普段は観光地やツアーを紹介しているクラブログとしては、やや重い内容になりますが、どうぞお付き合いください。

糸満市・ひめゆりの塔/ひめゆり平和祈念資料館

画像: 糸満市・ひめゆりの塔/ひめゆり平和祈念資料館

まず訪れたのは、有名な「ひめゆりの塔」です。
白い慰霊碑が注目されますが、実は慰霊塔自体は写真右下にある50cmくらいの小さな石塔です。
慰霊碑の元にあるぽっかりと開いた穴は伊原第三外科壕跡で、ここでひめゆり学徒隊や住民など多くの方が犠牲になりました。
隣接の「ひめゆり平和祈念資料館」も見学。ひめゆり学徒隊の遺品や手紙、映像などにより、ひめゆり学徒隊の足跡や沖縄戦の悲惨さを学ぶことができます。

糸満市・魂魄(こんぱく)の塔

画像: 糸満市・魂魄(こんぱく)の塔

次に訪れたのは、あまり沖縄県外の方には知られていない「魂魄の塔」です。
沖縄戦の激戦地になった沖縄南部には、各都道府県や各遺族会の慰霊塔が数多ありますが、この魂魄の塔はその中心とも呼べる重要な慰霊塔です。
戦後間もない頃、野晒しにされていた遺骨を地元有志の方々が集められて、軍民問わず供養された慰霊塔です。
沖縄県内で最初に建立された慰霊塔であり、かつ県内最大の慰霊塔です。

糸満市・荒崎海岸

画像: 糸満市・荒崎海岸

魂魄の塔から目と鼻の先にあるのが「荒崎海岸」
沖縄本島の最南端部に位置し、その名の通り荒々しい岩礁が広がる海岸です。
沖縄戦ではこの海岸に追い詰められた住民や日本兵、ひめゆり学徒隊が投身自殺を図るなど、悲劇の舞台になりました。
今ではサーフィンの名所となっている場所で、私が訪れた際もその悲劇が嘘のように美しい海と空が広がっていました。

糸満市・沖縄平和祈念公園/平和祈念資料館

画像: 糸満市・沖縄平和祈念公園/平和祈念資料館

摩文仁(まぶに)の丘にある「沖縄平和祈念公園」です。
平和の火を中心に、平和の礎が建っており、沖縄戦で亡くなった方々の名前が敵味方、軍民問わず刻まれています。
その碑、その刻まれた名前はモニュメントではなく、ひとりひとりの人生であり、命であります。
公園内にある平和祈念資料館では、ひめゆりの資料館とは違った視点で、沖縄戦全体を学ぶことができます。
この摩文仁の丘は、1945年6月23日に沖縄戦を率いた陸軍第32軍の司令官・牛島満中将が自決した場所で、日本軍の組織的な抵抗が終わった地とされています。

南城市・糸数アブチラガマ

画像: 南城市・糸数アブチラガマ

広大な平和祈念公園を見学した後は「糸数アブチラガマ」を訪れました。
中はジメッとひんやりして真っ暗闇、細々としたライトの光を頼りに進みます。
このような表現は不適切かも知れませんが、率直な感想として、本当に怖かったです。
ガマから先に出てきた修学旅行生の神妙かつ強張った表情も非常に印象的でした。
このガマは元々周辺住民の避難壕でしたが、後述する南風原の陸軍病院がここに撤退してきたため、住民と衛生兵、負傷兵が同居して混乱を極めたそうです。
米軍の攻撃と傷病に苦しみながら、この闇の中で過ごすと思うと、私なら1日も持たないでしょう。

南風原町(はえばるちょう)・沖縄陸軍病院南風原壕群20号

画像: 南風原町(はえばるちょう)・沖縄陸軍病院南風原壕群20号

少し那覇方面に戻って「沖縄陸軍病院南風原壕群20号」へ。
元々那覇にあった陸軍病院が、空襲や艦砲射撃が激しくなったため、ここ南風原に移転し、約30もの壕が掘られて野戦病院となりました。
ひめゆり学徒隊が看護要員として最初に動員された地で、最初の犠牲者が出た地でもあります。
戦局が悪化すると前述の糸数アブチラガマなど南部へ再撤退しますが、その際に動けない重症患者には青酸カリ入りのミルクが渡されて自決が強要されたそうです。

那覇市・旧海軍司令部壕

画像: 那覇市・旧海軍司令部壕

翌日はまず那覇市内を一望する丘にある「旧海軍司令部壕」を訪ねました。
沖縄防衛のため、陸軍第32軍と共に配置されていた海軍の沖縄根拠地隊の司令部があった壕です。
米軍に包囲されて最後を悟った海軍司令官・大田実中将は、海軍次官に宛てた訣別電報の最後で「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と記し、ここで自決しました。
中は蒲鉾型に掘られ、コンクリートで固められた堅牢な壕で、昨日見てきたガマとはまったく雰囲気の異なり、海軍が持っていた建設力を感じさせます。

読谷村(よみたんそん)・チビチリガマ

画像: 読谷村(よみたんそん)・チビチリガマ

車を北に走らせて中部・読谷村にある「チビチリガマ」へ。
沖縄戦が始まり米軍が上陸した際に、周辺の住民約140名が避難したガマです。
ガマまで来た米軍が投降を促しても、捕まれば殺されると強く信じていた住民が集団自決し、80数名の命が失われました。
一方、近くにある別のガマ(シムクガマ)では、ハワイ帰りの住民が他の住民を説得して集団で投降、死傷者を出さず約1,000名の命が救われたそうです。
その差は何だったのか、この地に立つと深く考えさせられます。

沖縄戦を学び、平和を考える旅へ

今回の下見を元に企画したのが、「沖縄戦を学び、平和を考える旅」です。
単に戦跡をめぐるだけではなく、皆さんと共に、戦争について学び、平和について考えてみる。
それが、このツアーを企画した意図です。
ツアーとしての答えはありません。特定のイデオロギーを押し付けるものでもありません。
一緒に学び、考えて、何かをお持ち帰りいただければ十分です。

このツアーは決して、楽しくハッピーなツアーではありません。
正直、どれだけのお客様にお申し込みいただけるかも定かではありません。
それでも、皆さんの心に残る旅になることはお約束します。
素晴らしい海と空が広がる沖縄の地で、皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。

沖縄ツアー企画担当:富田祐輔

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2019年5月31日公開/2019年8月6日更新/2020年2月1日更新

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