ミクロネシアという名称自体は、グアムやサイパンなど日本でもなじみの深いリゾートを含む海域、群島を指す言葉ですが、実はその中に「ミクロネシア連邦」という独立国家があります。
この記事ではまだまだ日本では知られていない太平洋の秘境・ミクロネシア連邦について紹介していきます。
グアムとハワイのあいだ、広大な太平洋海域に浮かぶ秘境・ミクロネシア連邦。
世界遺産の水上都市遺跡や、日本と関係の深い第二次世界大戦時の戦跡、おとぎ話のような無人島など、バラエティに富んだ見所を紹介します!
7月現在、新型コロナウィルスの感染防止に伴い、ミクロネシア連邦は日本を含む全ての外国からの入国を原則禁止しています。最新の渡航情報は在ミクロネシア日本大使館ホームページからご確認ください。
ミクロネシア連邦はどこにある??
太平洋に浮かぶ秘境・ミクロネシア連邦はどこにあるのでしょうか?
ミクロネシア連邦は、日本では定番のリゾート地グアムの南、東西約3,200km、南北に約1,200kmにも渡る、太平洋の広域に点在している島嶼国家です。
ややざっくりですが、グアムとハワイを直線で結んだ線、のちょっと南に点々とある島々、と考えていただければ分りやすいでしょうか。
領域内にある約600の島々は、4つの州(西からヤップ州/チューク州/ポンペイ州/コスラエ州)に分かれており、アメリカ合衆国などと同様に、各州ごとの連邦制を採っています。
日本からは行くためには、グアムにて航空便を乗り継ぎ、グアム~ハワイ(ホノルル)間の島々を点々と経由していくユナイテッド航空の「アイランドホッパー」便にて各島へ渡ることとなります。
直行便こそ就航していませんが、日本からグアムまでが約3時間半、グアムからチューク州までは約2時間(乗継時間は除く)とフライトの所要時間は短く、また日本とは時差が1~2時間(島により異なる)と非常に少ないため、体感としては東南アジア諸国と同じかそれ以上に「近い場所」、と感じます。
とはいえ、観光目的で日本から来る方は年間3,000人にも満たず、世界的に見ても年間13,000人足らずしか訪れないミクロネシア連邦(2011年時点)。まだまだ謎の多い島の特徴を見ていきましょう。
自然・歴史・文化・食
「手付かずの自然」が残る島
日本列島がすっぽり入ってしまうくらい広域に広がるミクロネシア連邦の島々ですが、日本のように北と南で気候が異なったり、明瞭な四季があるわけではありません。
年間平均気温は25℃を超え、何時行っても真夏のリゾート気分になるような温暖な気候は、ちょうどハワイやグアムと似ていますね。
ただしミクロネシア連邦は、ハワイやグアムのようにリゾート地として観光開発が進んでいないため、より自然の原風景が残っています。
また地形として、各島の周囲には広大なサンゴ礁が広がり環礁を形成しているため、透明度は抜群です!
また島によってはマングローブ林が周囲を取り囲み、さらに内陸に行くと熱帯雨林が広がります。
青い海に緑豊かな土地。
都市化が進む太平洋海域にあって、ミクロネシア連邦の各島には、原風景とも言える貴重な景色が残っています。
欧米・日本と関係が深い歴史
現在は4つの州がまとまって一つの国となっているミクロネシア連邦ですが、かつてはそれぞれの島に独自の文化や王朝がありました。
特にポンペイやコスラエでは明確な文明が栄え、その遺跡が残されていますが(後述)、文字を持たない文化だったこともあり、解明はあまり進んでいません。
16世紀になると、大航海時代を迎えていたスペインやポルトガルによってミクロネシア海域の島々が欧米諸国に発見され、その後第一次世界大戦まではスペイン、ドイツ、フランスなどがこの地域に入植、統治してきました。
第一次大戦後はドイツ領から日本の委任統治領となり、太平洋戦争下においては日本軍の重要拠点として、多くの一般市民を含む10万人規模の日本人がやってきました。
特に南洋線の拠点となったチューク環礁の島々には大規模な日本人街が築かれ、建物の残骸や砲台、戦艦や戦闘機の残骸が今でも残されています。
そして第二次大戦後、米国を中心とした国連信託統治領の時代を経て、1991年に独立・国連加盟を果たしました。
日本統治時代の名残から、ミクロネシア連邦では現在でも多くの日本語が根付いています。
例えば、学校、先生、自動車、飛行場、ズボン、草履など、日常的に使う言葉から、人の名前(初代大統領の名前は「トシオ・ナカヤマ」氏)まで、多くの場面で日本語由来の現地語を耳にしますし、比較的高齢者の中には日本語を話せる方もいらっしゃいます。
また産業に目を移すと、日本には多くの海産物を輸出しており、荷揚げされるキハダマグロやメバチマグロはその88%が日本の刺し身用なんだとか!
(出典: 国家海洋資源管理局(NORMA)の2004-05 報告書)
宗教については、スペインやドイツなどの影響により住民の多くがキリスト教徒ですが、土着の信仰も非常に強く残っています。
例えば、連邦政府や各島の州政府とは別に、伝統的な集落の酋長・ナンマルキを中心とするタテ社会文化が現代にまで残っています。
現代においては、国政はもちろん各州政府と連邦政府の政治決定によって行われていますが、個人や地域レベルでは、時に法律や政府の決定よりも酋長の意思が尊重されることも!
彩り豊かな食材
四方を海に囲まれ、また高温多湿な気候のため、食資源は非常に豊富なミクロネシア連邦。
市場に行くと、棚には日本でもよく見るものから明らかに見たことの無いような変わった形のものまで、青果物がところ狭しと並べられています。
また海産物の種類も多く、イワシやマグロ、海老といったお馴染みのものから、マングローブ林に生息するマングローブ蟹まで、多様な食材を目にします。
ちなみにマングローブ蟹は茹でたり焼いたりいろいろな方法で調理されますが、レストランでは中華風に味付けされた「チリクラブ」が人気なんだとか。
また、マグロやサーモンの刺身は醤油とともに日常的に提供されます。食文化にも、日本の影響が色濃く残っていますね。
おススメの観光地
それではいよいよミクロネシア連邦の観光地を紹介していきます。
ポンペイ:謎に包まれた巨石水上都市ナンマドール遺跡
2020年現在、ミクロネシア連邦で唯一ユネスコ世界遺産に登録されている場所が、ポンペイ(ポナペ)州にあるナンマドール遺跡です。
「太平洋のヴェニス」や「ミクロネシアのアンコールワット」(個人的には、「海上のマチュピチュ」が一番しっくりくる表現です。笑)とも呼ばれるナンマドールは、100以上の人工島によって形成され、西暦500年頃~1500年頃にかけて栄えた王朝によって築かれた遺跡とされます。
遺跡のある人工島は約1.5km×0.7kmという広大なエリアに点在しており、この規模は、太平洋海域からオセアニアにかけての地域に現存する石造遺跡群の中では最大規模を誇ります。
元々何も無い海だった場所に、玄武岩や珊瑚を積み上げて作られ、総重量は約50万トンと推定されます。
この写真は海上から撮られたもので、手前は防波堤として作られた石積み、ちょっと分かりづらいですが、その後ろに水路を挟んで遺跡が築かれています。
遺跡内には、当時の文明における王や神官達の居住区、政治や祭事のための広場、養殖池や医療施設、王墓と考えられる施設が現存していますが、文字を持たない文明であったため、限られた伝承と採掘物から推察するしかなく、実際にはまだ分らないことだらけです。
またこの文明は金属や車輪、滑車などの素材や道具も持たなかったため、一体どのようにしてこれらの石を運び、また積み上げていったのか、という点もまた大きな謎となっています。
木々が生い茂るジャングルを抜け、いくつもの小さな水路を渡った先に忽然と現れる巨石遺跡。
四方を海と水路で囲われ、さながら水上に浮かんでいるかのようなこの建造物は、大部分が植物の侵食を受けており、人々に忘れられた古代の文明を現在にたたえています。
ポンペイ島にはナンマドール遺跡以外にも、スペインやドイツなど欧米列強諸国が統治していた時代の跡が残るコロニアの町や、手付かずの自然を味わえるケプロイの滝、人口6,000人ほどにしてミクロネシア連邦の首都となっているパリキールなど、見所が多数あります。
チューク:大戦の記憶を現代にたたえる戦跡群
周囲を約200kmにも及ぶ世界最大規模のサンゴ礁で囲まれたチューク環礁。
約250もの島々からなる地形から、天然の要塞として、第一次世界大戦以降にこの地を統治した旧日本軍にとっては南洋の最重要拠点の一つでした。
チューク環礁には、国際空港があるモエン島(春島、ウェノ島)をはじめ、周辺のデュプロン島(夏島)など、陸上や海底のありとあらゆるところに戦時の遺産が残されています。
現在でも残る遺跡として見られる施設は、旧病院跡、海軍通信隊跡、公学校跡、日本兵収容所、砲台跡、戦艦武蔵が係留されていたブイなど、多岐にわたります。
戦争そのものは悲しい歴史ではありますが、南洋諸国における当時の日本の存在感や、戦争の激しさを知ることが出来る貴重な場所であることは間違いなく、日本人としては一度は訪れたい場所です。
チューク:童話のような無人島・ジープ島
もう一箇所、チューク環礁にあり、ミクロネシア連邦を代表するオススメ観光地を紹介しましょう。
冒頭にも写真が出てきた無人島・ジープ島です。
直径34m、外周わずか110mと、浅瀬から一目で島の全景を見渡せるほど小さなこの島は、以前に世界の絶景を紹介する某テレビ番組にて大きく取り上げられたこともあります。
先ほど紹介したチューク諸島の空港があるモエン島からはボートでアクセスできる場所で、現在は日本人の方がオーナーとして、日本人のみが滞在できる宿泊施設となっています。
宿泊施設はあるものの、水道設備やインターネット環境はなく、電気も自家発電のため限られた用途にのみ使用しているという、人間の手を最小限に抑えた自然環境は、何も無いことを楽しむために、これ以上無いロケーションです。
透き通った青い海、白砂の美しいビーチ、そびえるヤシの木、まさに私たちがイメージする童話の中の「無人島」を現実にしたような場所・ジープ島。
都会の喧騒を離れて、ひとときだけでも自然の中に身を置いてみませんか?
ヤップ:古代の貨幣文化が残る島
最後に紹介するのは、ミクロネシア連邦で最も西にある州・ヤップです。
他の3州は最初に紹介したグアム~ホノルル間のアイランドホッパーに乗っていくことが出来ますが、ヤップだけはグアムよりもさらに西(正確には南西)に位置しているため、グアムからヤップまでの通常の定期便にて行くことになります。
そんなヤップには多くの伝統的習慣が残っていますが、その代表例として興味深いのが、巨石を貨幣として扱う、石貨文化です。
日本の5円玉のように、真ん中に穴のある円形ですが、大きさは小さいものでも直径30cmほど、普通は直径60cmから1m余りで、大きいものになると直径3m、重さ5tにもなります。
貨幣といっても、例えば市場で魚を買うような日常的な使い方はせず、通常は冠婚葬祭やトラブルの解決に使われています。
興味深いのは、大きな石貨になるともはや持ち運ぶことはせず、所有権のみを移すことで、取引を成立させていることです。
石のお金、と聞くと、なんだか原始時代のような未開の印象さえ受けてしまうかもしれませんが、物質的な存在と通貨の価値を切り離して取引すると言う点は、現代におけるキャッシュレス決済や仮想通貨などにも通じる考え方で、経済学者からも注目されています。
また、この石貨の原材料となる石はヤップ島で切り出されたものではなく、約500km離れた隣国パラオから運ばれたものです。
当時のヤップ人はカヌーでパラオまで行き、パラオ人の許可を得て石貨を切り出し、またそれを海上で持ち帰ったと言われ、その労力からも価値が認められています。
最後に
この記事では太平洋の秘境・ミクロネシア連邦について紹介してきました。
日本からは遠くなく、歴史・文化的にも強い繋がりがありながら、観光地としてほぼ知られていませんが、歴史ロマンあふれる観光スポットや、新鮮な海鮮物を中心とした食事、親切な現地の方々、そして何より手付かずの自然を存分に味わえるミクロネシア連邦。
欧米のような大都市はなく、ハワイやグアムのように整ったリゾートホテルもありませんが、秘境・絶景に行きたい方、人ごみや喧騒を避けて旅行を楽しみたい方は是非検討してみてはいかがでしょうか。
クラブツーリズムの当エリア担当者が、2019年9月に現地を視察しました。
視察の様子はこちらのブログからご確認いただけます♪
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