ザルツブルクでのモーツァルト
モーツァルトが生まれたときの大司教シュラッテンバッハは、とても寛大で、モーツァルト親子が旅に出ることを許してくれました。しかし1771年、2度目のイタリア旅行から戻った後、その大司教が亡くなってしまいました。そして後継者となった大司教コロレードは、モーツァルトを召使い同然に扱い、旅行も許可せずにザルツブルクに閉じ込めてしまいました。旅は見聞を広め、感性を磨くことができたので、モーツァルトにとっては耐え難い環境になってしまいましたが、1773年3月から約4年半の間、ザルツブルクでひたすら作曲に励み、約120もの作品を作曲しています。
大作「戴冠式ミサ」
ザルツブルクで宮仕えの身であったモーツァルトは、当然のごとく教会音楽を数多く作曲しましたが、そのほとんどをザルツブルクで書いています。その集大成とも言える大作が、1779年に作曲した「戴冠式ミサ」です。「戴冠式ミサ」という名で呼ばれているのは、長年ザルツブルク郊外にあるマリア・ブライン巡礼教会で1779年から始まった聖母マリア像に対する戴冠の式典のために作曲されたと伝えられていたからです。しかし研究者の間で疑問視されるようになり、今では「戴冠式ミサ」は大聖堂での復活祭式典のために作曲され、モーツァルトがマリア・ブライン巡礼教会のために作曲したのは、ミサ曲ヘ長調(1774年)だったというのが定説になっています。
マリア・ブライン巡礼教会
マリア・プラインが巡礼地になったのは、1633年、30年戦争時の火災の中から奇跡的に無傷で残ったという聖母マリア像がもたらされたことに由来しています。バロック様式の建物は1674年に完成、1751年に主祭壇に飾られたその聖母マリア像の戴冠が祝されました。モーツァルトはミサのために家族と共に何度もこの教会に足を運んだといわれています。
隣接するレストラン
教会に隣接するレストラン「マリア・プライン」は、その歴史が1687年まで遡りますが、今でも教会を訪れる地元の人たちで賑わう人気のレストランです。以下の「出発決定」ツアーでは、夕食にこのレストランへご案内します。
以下のツアーでもザルツブルク市内のモーツァルトゆかりの地へご案内します。
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