「フィデリオ」とは
主人公のレオノーレが「フィデリオ」という名で男性に変装して監獄に潜入し、政治犯として投獄されていた夫フロレスタンを救い出すという物語で、レオノーレとフロレスタン役の高度なテクニックが求められる歌唱力、囚人たちが自由を謳う壮大な合唱力がこのオペラの魅力になっています。
3つの「フィデリオ」
1805年11月20日にアン・デア・ウィーン劇場で、ベートーヴェン自らの指揮で初演された「フィデリオ」(第1稿)は不評を買い、公演は失敗に終わりました。ベートーヴェンはすぐに改訂に着手して、1806年3月29日に「フィデリオ」(第2稿)を上演し、一定の評価を得ることができました。しかいその後上演される機会に恵まれず、忘れられてしまうような作品になってしまいました。
ベートーヴェンが再度改訂作業に取り組み、第3稿の「フィデリオ」を初演させたのは、8年後の1814年5月23日でした。公演は見事に成功を収め、ウィーンで上演を重ね、その評判は他の都市にも伝わり、11月にはプラハで、1815年にはベルリンで、1816年にはワイマールとブダペストでも上演されまれました。1823年にはドレスデンの宮廷楽長を務めていた作曲家ウェーバーがドレスデンで初演し、成功させています。こうして第3稿の「フィデリオ」が、定番として上演されるようになったのです。
4つの「序曲」
ベートーヴェンは、3つの稿とプラハでの上演のために、合計4つの序曲を書いています。いわゆる「レオノーレ序曲」と呼ばれ、第2稿の「フィデリオ」初演に向けて作曲した第3番は、最も優れた曲としてオペラ上演に欠かせない序曲です。またオーケストラ演奏会などでも単独で演奏されるほど広く知られるようになりました。
マーラーの改革
ウィーン帝立歌劇場の総監督を務め、様々なオペラ改革を行った作曲家マーラーは、場面転換のために時間がかかる第2幕第2場への間奏曲として「レオノーレ序曲」第3番を演奏するという、度肝を抜く試みを断行しました。この序曲があまりにも素晴らしいため、最終幕の音楽的効果を奪ってしまうという批判もあり、マーラーの時代には定着しませんでしたが、後にフルトヴェングラーなどの大指揮者が支持して間奏曲として取り上げるのが一般的になりました。
アン・デア・ウィーン劇場
「フィデリオ」が初演されたアン・デア・ウィーン劇場は、モーツァルトの「魔笛」の台本を書いたシカネーダーが劇場監督を務めていたことでも知られていますが、ベートーヴェンはこの劇場の一室に1803年と1804年に住み、交響曲第3番やクロイツソナタなどを作曲しました。また交響曲第2番、3番、5番、6番、ヴァイオリン協奏曲が初演されたベートーヴェンにとてもゆかりの深い劇場です。
アン・デア・ウィーン劇場で「フィデリオ」鑑賞
ペトレンコも「フィデリオ」
今シーズンよりベルリン・フィルの首席指揮者に就任したペトレンコは、ベルリン・フィルの音楽祭である2020年のバーデンバーデン・イースター音楽祭で「フィデリオ」と「ミサ・ソレムニス」を指揮します。ペトレンコはシーズン開幕の就任記念演奏会で「第九」を指揮して高い評価を得ましたが、就任時の会見で述べていたのは、現在でも問われている3つの「F」、つまりFreude(喜び)=「第九」、Feiheit(自由)=「フィデリオ」、Frieden(平和)=「ミサ・ソレムニス」平和を取り上げるということです。イースター音楽祭では、どのような「フィデリオ」と「ミサ・ソレムニス」の世界を示してくれるのか、とても楽しみです。
海外音楽鑑賞の旅はこちら
お問い合わせ、お申し込みは・・・
クラブツーリズム 海外音楽鑑賞の旅「アンコール」
お電話: 03-5323-4455(月~土 9:15~17:30)(日・祝 9:15~13:00)
メールアドレス: td.culture@club-tourism.co.jp
住所:東京都新宿区西新宿6-3-1 新宿アイランドウイング
クラブツーリズムから旅に関する最新の情報をお届け!
クラブツーリズムからメールマガジンをお届けしています。
1万件以上あるツアーの中から厳選した、人気のツアーや限定ツアーの情報をご希望の方はメルマガ会員への登録をお願いします。
◎クラブツーリズムのWEB会員でない方はこちらから
◎クラブツーリズムのWEB会員だけれどもメルマガは受信していない方はこちらから
※既にインターネット会員の方も、配信設定を変更することでメールマガジンをお受け取りいただけます。ログイン後、メールマガジンの設定を変更ください。
SNSでも最新の情報をお届けしています。旅に関する最新の情報を共有しましょう!
・LINE
・インスタグラム
・facebook
・youtube