日本人がこよなく愛するリゾート・ハワイ。知っているようで知らないハワイの横顔や歴史に迫る本シリーズ。第2回目は、童謡や逸話でその名を知る人も多い「カメハメハ大王」と「ハワイ王国」について更に深堀してご紹介いたします。
そこには以前、独立した国家「ハワイ王国」がありました。島々を統一し王国を樹立したカメハメハ。今では世界有数のリゾート・ハワイの王様ということで、のんびりした印象が強いかもしれませんが、実際にはどうだったのか? 大王像の秘密は? カメハメハ大王とハワイ王国・後編です。(2021年12月23日更新)

何より贅沢だと感じるのは、視界いっぱいに広がる海と空の青さを感じる時間。そんな贅沢な時間がいともたやすく手に入るのは南の島ハワイの休日ですね。

カネオヘ湾にある美しい白砂のサンドバー クラブツーリズムの天国の海貸切ツアー  (撮影:YUKO)

ハワイでの時間を恋しく思いながら、今回もハワイの歴史旅お届けしていきます。

またまた担当はこの私、ハワイ大学卒業生・ハワイ大好き添乗員・YUKOです。

Traveling without moving!

この旅にはパスポートも、ESTAも、重たいスーツケースも、PCR検査陰性証明書も必要ありません。必要なのは皆様の想像力だけです。

出発の前に、コロナ禍でのハワイの現状がとっても気になりませんか?

やっぱり、観光客がいなくて閑散としているんじゃないの?

ところが、ローカルの友達のフェイスブックなどによると、今ハワイは観光客で大賑わい。

ビーチに立つ無数のパラソルや、大渋滞しているダイヤモンドヘッドの山頂などの写真がポストされていますし、夜のカラカウア通りはまっすぐに歩けないほど賑わっているそうです。

  (撮影:YUKO)

えっ?どうして?観光客はどこから来ているの?

ハワイ、特にオアフ島に行くと、とかく日本人観光客の姿が目につきますが、実は元々ハワイの観光業の一番のお得意様は、ハワイの人々が「メインランド」と呼ぶアメリカ本土からの観光客なんです。

HTAハワイ州政府観光局のAnnual Reportによると、コロナ前の2019年でも総観光客数の66% を占めるのは、その「メインランド」からの観光客。

日本はインターナショナルマーケットでは、他の追従を許さないダントツの1位ですが、それでも日本からの観光客のシェアは15% 程。その日本の4倍以上の観光客はアメリカ本土から来ているんですね。

ワクチン接種が進んでいるアメリカ。彼らにとっては国内旅行ですが、それでもやはりハワイは憧れの地。他の国の観光客がいない分、ハワイを存分に楽しんでいるようです。

わーん!うらやましい~!!!

そうですよね。早く気軽に海外旅行を楽しめる世界に戻るといいですね。

それまでは是非「」でイメージトラベリングを楽しんでくださいね。

さぁ、それではカメハメハ大王の物語。後編です。古のハワイ旅に出発しましょう!

前編のおさらいはこちら

カメハメハ最大のライバル 雷の神カヘキリ

さてさて、約10年もの戦いの末、ようやくハワイ島を支配したカメハメハ。

次の目標は、ハワイ全島の統一です。

そこに立ちはだかるのが宿敵マウイの王カヘキリ(Kahekili)

雷の神カネヘキリ(Kāne-Hekili)を名前の由来とするだけあって冷酷な王として知られ、雷の神と同じように顔と身体の右半分が刺青で覆われていました。

ちなみにポリネシアの伝統では刺青は一族の家紋や守護の意味を持つ重要なものでした。英語のタトゥーはポリネシアの言葉が由来です。今でもハワイでは、超高級なレストランで働くスタッフでも刺青を入れている人が普通にいて、日本の方々はちょっと驚いてしまうかもしれませんね。

(撮影:YUKO)

オアフ島に攻め込んだ時には、大量虐殺をして殺した人の骨でカウワルア(Kauwalua)と呼ばれる家を作らせたという残忍な王としても知られています。

実はこのカヘキリ、カメハメハの実の父親ではないかという噂がありました。

カメハメハの母ケクアポイワは、カメハメハが生まれる前にマウイ島のカヘキリを訪ねていたそうなんです。この事実がカメハメハに告げられたのは、もっとずっと後のこと。ハワイ王国が建国され、ケクアポイワの従妹で、王国の国務大臣を務めたカメエイアモク(Kameʻeiamoku)が亡くなる間際にカメハメハに告白したといいます。

でも、カメハメハ自身はこの事実を頑として認めなかったそうです。

ところで、カヘキリはその当時、マウイ島だけでなく、オアフ島、モロカイ島、ラナイ島を支配し、異母兄弟のカエオクラニ(Kaeokulani)との協定を通じてカウアイ島ニイハウ島をも征服していました。

マウイ王国としてハワイ諸島は、ほぼ統一されていたのか!さすがカメハメハのお父さん

カメハメハはハワイ島統一の前年にもマウイ島に攻め込み、イアオ渓谷を舞台としたケパニワイの闘い(Battle of Kepaniwai)で大勝利!内乱のため一度ハワイ島に戻りますが、本格的なマウイ島侵攻に乗り出します。

銃器と二人の軍事顧問 ハワイ統一への道

貿易の才にも長けていたカメハメハ。たくさんの外国貿易船がケアラケクア湾のカメハメハを訪ねてやっています。そのおかげで戦闘に向けて大量の銃器を蓄積することができました。

(撮影:YUKO)

そしてカメハメハのハワイ統一までの数々の闘いには、大砲を積んだフェア・アメリカン号というアメリカ船籍の船、イギリス人のジョン・ヤング(John Young)アイザック・デイビス(Isaac Davis)という二人の軍事顧問が勝利に大いに貢献したと言われています。

カメハメハは最高の武器と船、最高の砲手を手にしていたんだね

フェア・アメリカン号はエレオノーラ号と共に海上毛皮交易のためにハワイに立ち寄った船でしたが、エレオノーラの船長サイモン・メトカルフ(Simon Metcalfe)オロワルでハワイ先住民を大量虐殺(Olowalu Massacre)するという事件が起こります。

カメハメハは報復としてメトカルフの息子が船長を務めるフェア・アメリカン号を略奪。そのフェア・アメリカ号でたった一人生き残ったのがアイザック・デイビス、そして消えたフェア・アメリカ号を調査するためにエレオノーラ号から派遣されたのがジョン・ヤングです。

この二人が陸海戦の戦略を含む西洋世界の知識をカメハメハにもたらしました。こうした人材に恵まれたのもカメハメハの強運と言えるのかもしれません。

Hi, I'm Kamehameha

....と言ったかどうかは定かではありませんが、カメハメハ自身も語学の才があって、英語もすぐに話せるようになったということです。なんとも羨ましい話ですね。

赤口砲の戦いとライバルの死

マウイ侵攻を狙うカメハメハ。阻止するカヘキリ。赤口砲の戦い(Battleof the Red-Mouthed Gun)という激しい海戦で両者はぶつかり合いますが、決着はつかずカヘキリはオアフ島に撤退します。

この戦いは、ハワイの歴史上、西洋の武器をメインにして戦った最初の海戦で、その激しい戦いゆえに、当時のハワイの人口がかなり減ってしまったとも言われています。

(撮影:YUKO)

ところが1794年7月、カメハメハには運のいいことに最大のライバルであったカヘキリがオアフ島で老衰により亡くなってしまいます

多くの兵士が崖へダイブ 決戦の地・ヌアヌ・パリ

後を継いだのは、カヘキリの長男カラニクプレ(Kalanikūpule)。噂が本当ならカメハメハの異母兄弟ということになりますね。
カラニクプレは、叔父のカエオクラニ(Kaeokulani)との内戦に勝利した勢いで、ハワイ島へと攻め込みますがあえなく失敗。

一方、マウイ島のラハイナで貿易により武器を集め、オアフ侵攻に向け軍を備えていたカメハメハは、マウイ島、ラナイ島、モロカイ島を次々に征服。そして、かつて中国で仕入れた武器を融通し、カメハメハと同盟を組んでいたカウアイ島の首長カイアナ(Kaiana)を取り込んだカラニクプレとついにオアフ島で激突します。

クラブツーリズムのツアーでも度々訪れるヌアヌ・パリがその激戦の舞台です。

パリってフランスの首都のパリ?

いえいえ、パリはPaliと書き、ハワイ語での意味です。

ハワイ出身のオバマ大統領のクリスマス休暇で冬のホワイトハウスと有名になったカイルアや、天国の海の美しいサンドバーで有名なカネオヘと、ホノルルのダウンタウンを結ぶコオラウ山脈上のパリ・ハイウェイ (ハワイ州道 61 号線)

全米No1にも選ばれたカイルアビーチ 白砂と青空がもたらす息をのむほど美しいアクアブルーの海
(撮影:YUKO)

その山頂にあるのがヌアヌパリです。現在は展望台となっていてオアフ島の東側を一望できますが、ここに来るとたいてい雨に降られます。

約75%の晴天率を誇るホノルルと対照的に雨の多い東側。これはオアフ島を東西に分断するコオラウ山脈のせいなんです。

北東からくる貿易風はこの山脈にぶつかって島の東側に雨を降らせ、ホノルルのある西側を晴天率の高い理想的なリゾートにしています。私がハワイに滞在していた4年半もの間、一日中雨が降った日は、本当に数えるほどでした。

でもハワイではBlessing(祝福)と呼ばれるパラパラと降ってさっと止む雨は多くて、そのせいでハワイの空には本当に虹がよくかかります。だからハワイは全米50州の中でRainbow State(虹の州)と呼ばれているんです。

(撮影:YUKO)

ナンバープレートや運転免許証も虹のモチーフが描かれています。

さてさて、ちょっと話がずれました。

このオアフの東側を一望できるこの場所こそが、ハワイ王国樹立を決定づける最後の決戦の場

4隻の軍艦、1,200隻もの戦闘用カヌー、10,000人近い兵士を引き連れてオアフ島に攻め込んだカメハメハ。ワイアラエとワイキキから上陸したカメハメハ軍は二手に分かれてカラニクプレの軍を追い詰めます。

そして、カラニクプレ軍の砲台があったヌウアヌ・パリの頂上で激しいバトルを繰り広げた結果、追い詰められたカラニクプレの兵士たちは、約300メートル(東京タワー:333m)の崖から突き落とされてしまいました。

東オアフを一望できるヌアヌ・パリ展望台からの眺め 雨具必携です (撮影:YUKO)

捕らえられるよりもと自ら身を投げた兵士たちも多かったといいます。1897年にヌアヌパリの崖下に位置するパリロードの工事が行われた時、なんと800もの頭蓋骨が発掘されたそうです。

カメハメハを裏切ったカイアナはこの戦いで殺され、カラニクプレは数か月間山の中に隠れていましたが、捕らえられ、カメハメハの軍神クーの生贄となりました。

うわぁ!もう南の島ののんびりした王様のイメージはカケラもないね。

1795年2月、ここにハワイ王国建国が宣言されました。最大の宿敵カヘキリがこの世を去ってから1年もたたないうちでした。

日本は江戸時代、将軍は第11代徳川家斉光格天皇の御代です。

カウアイ・ニイハウ侵攻 全島統一へ

王国建国当時は、カヘキリの異母兄弟カエオクラニの息子カウムアリイカウアイニイハウの2島を支配していました。

1796 年、カメハメハ はイギリス人に40トンの船を建造させ、約1,500 台のカヌーと10,000 人の兵力でカウアイ島征服に乗り出します。しかし悪天候とオアフの北を流れる強い潮流・カイエイエワホ海峡に阻まれ、計画を断念。

1804 年には、戦闘用カヌーとスクーナーの大艦隊で、再度侵攻を試みますが、コレラや腸チフスといった伝染病で多くの兵士を失い、またもや断念することになります。

カウアイ島は神に守られた島と噂されますが、アメリカ人の貿易商ネイサンとジョナサン・ウインシップ兄弟の説得によりカウムアリイが帰順、カメハメハはハワイ全島の支配者に、カウムアリイは2島の実質的な支配権を保有することで、和平協定が結ばれました。

1810年、ついにハワイ全島が統一されました。

4体のカメハメハ像とその秘密

最終的にはハワイ島に戻り、1819 年 5月カイルア コナで永遠の眠りについた偉大なる王カメハメハ。その偉業をたたえて作られた像は4体あります。

(撮影:YUKO)

最も有名なのは、クラブツーリズムの多くのツアーで訪れるオアフ島ホノルル・ダウンタウンのハワイ州の最高裁判所・アリイオラニ・ハレの前に建つカメハメハ像。アリイオラニ・ハレは大人気ドラマ「Hawaii Five-O」の本部としても有名ですね。

1883 年に奉納されたこの像は、イタリア・フィレンツェ在住のボストンの彫刻家・トーマス グールドによる真鍮製の像。ただし、制作された最初の像は、輸送中、フォークランド諸島沖で船が難破し海の底へ。この像は掛けられていた12,000 ドルの保険によって再度鋳造された2番目の像になります。

2つ目はハワイ島コハラ地区。海に沈んだ像が奇跡的に回収され1912 年にカパアウにあるカメハメハの生家の近くに設置されました。地元の投票により肌は褐色に、衣服の部分に赤と黄色の塗装がされています。

3つ目はハワイ島ヒロのワイロア州立公園に1997 年に奉献された像。4体の像の中で最も高い 14 フィート(4.3メートル)です。

そして最後の1体はどこにあると思いますか?

ハワイの人々がメインランドと呼ぶアメリカ本土・ワシントン DCのアメリカ合衆国議会議事堂に併設される国立彫像ホール(National Statuary Hall Collection)です。ここにはアメリカ50 州からそれぞれの州の歴史上の人物の栄誉を称えて像が寄贈されています。

各州から2体ずつ。ハワイからはカメハメハ大王と、ハンセン病患者たちのケアに生涯を捧げ、自らもハンセン病で命を落とした聖人ダミアン神父の像がコレクションに加えられています。カメハメハの像は彫像ホールにあるどの像よりも重く15,000 ポンド(約7t)の重量級の像だそうです。

フラワーレイがまるでマントのようなカメハメハ像 
この姿が見れるのは5月1日のレイ・デーと、6月11日のカメハメハ・デーの頃 (撮影:YUKO)

毎年 6 月 11 日カメハメハ デーには、ハワイで最も偉大な王を讃えて、これらの像にフラワー レイが捧げられます。

かっこいい!カメハメハってイケメンだったんだね。

う~ん。残念ながらこれは、カメハメハの本当の顔ではありません。

第7代のカラカウア王の時代に作られたこの像は、当時のハワイアンの血を受け継ぐ政治家ジョン・タマトア・ベイカーロバート・ホアピリ・ベイカーの異母兄弟の二人をモデルにローマ風につくられたのだそうです。

そういえば片足に重心をかける「コントラポスト」といい、アウグストゥスやカエサルの像によくみられるポーズだよね。

ただ腰に巻かれたLīloa's Kāʻeと呼ばれるサッシュは古代ハワイ島の王から受け継いだ王の証、そしてハワイの王族が纏う鳥の羽でつくられた豪華なマントが、この像をハワイ王国の創始者たるものにしていますね。

イオラニ宮殿の大広間に飾られているカメハメハの肖像画 左はお后の一人ケカーウルオヒ (撮影:YUKO)

さて、ハワイの歴史旅 第1弾「カメハメハ大王」のお話はこれでおしまいです。

実はこのハワイ王国、100年も経たないうちに崩壊してしまうんです。

次回はハワイ王国にとってカメハメハの次に重要な第7代の王様「カラカウア王と失われた王国」のお話に皆様をお連れします。

このカラカウア王日本ハワイの関係を深く結びつけるキーマン。そして今ではハワイの象徴ともいえるフラを復活させた王様としても有名です。

(撮影:YUKO)

それでは、次回をお楽しみに!ALOHA!

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