ベートーヴェンの生誕地ボン
ベートーヴェンが仕えたケルン大司教は、ウィーン行きに理解を示したハプスブルク家マリア・テレジアの末子、マクシミリアン・フランツでした。ベートーヴェンが初めてウィーンを訪れたのは、1787年4月、16歳の時ですが、皇帝ヨーゼフ2世に謁見できたのもマクシミリアン・フランツが書いて持たせた推薦状のおかげでした。ベートーヴェンは、ウィーン到着後すぐにモーツァルトを訪ねて即興演奏を披露し、弟子入りが許されたと言われていますが、最愛の母が危篤という知らせが届いたため、わずか2週間でウィーンを去ることになりました。
再びウィーンへ
ベートーヴェンが、再びウィーンの地を踏んだのは、21歳の時でした。大司教より与えられた有給休暇は1年という期間付きの留学でしたが、当時、音楽面で活気溢れる魅力的な街だったウィーンに永住することを決意し、2度とボンに戻ることはありませんでした。ハイドンの元で作曲を学び、やがてピアニストとして本格的な活動を始め、その卓越した即興演奏がパトロンとなる貴族たちを魅了するようになりました。
引っ越し魔
ベートーヴェンは、ウィーンとその近郊に住み、79回も引越しを繰り返したと伝えられています。しかし当時のまま残っている建物は意外に少なく、ウィーンでは「パスクァラティ・ハウス」、「遺書の家」、「エロイカハウス」だけです。
パスクァラティ・ハウスは、親交のあったパスクァラティ男爵が家主だった家で、ベートーヴェンは、1804年~08年と1810年~14年に住み、「フィデリオ」、交響曲第4番、5番、7番、「エリーゼのために」など数多くの作品を作曲しました。創作面で最も充実した日々を過ごした住居は5階にあり、現在4つの部屋が記念館として公開されています。
「フィデリオ」初演劇場
ベートーヴェン唯一のオペラ作品「フィデリオ」は、ベートーヴェンが1803年~04年に住んでいたアン・デア・ウィーン劇場で初演されました。現在はウィーン第3の歌劇場としてオペラが上演されていますが、以前は演奏会も頻繁に行われ、交響曲第2番、3番、5番、6番、ヴァイオリン協奏曲なども初演されています。
最期の家
パスクァラティ・ハウスから歩いて5分くらいの所に、1827年3月26日、ベートーヴェンが息を引き取った住居がありました。この最期の家の前は、以前広場になっていて、3月29日の葬儀の際には2万人以上もの人が集まったと言われています。またそこから歩いて5分くらいの所には、ベートーヴェンの遺体が運ばれ、葬儀が執り行われた三位一体教会があります。
クラブツーリズムでは、通年ウィーンを訪れるツアーをご用意していますが、「山本講師同行ツアー」では、自由時間を利用してご希望の方々を、講師がリング内、周辺の音楽家ゆかりのスポットへ徒歩にてご案内しています。
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