バッハの人生において、ワイマールとケーテンで過ごした年月は、成功と挫折、そして名曲が次々と生まれた、濃密な時期でした。なぜ彼は恵まれた宮廷を去り、次の街へ向かったのか。名曲が生まれた背景と、バッハの揺れる心情をたどってみましょう。

宮廷楽長になれなかった街ワイマール

▷ワイマール

ワイマールはドイツ中部に位置する小都市で、宮廷文化と教会音楽が栄えた街です。バッハはこの地で宮廷音楽家として重要な経験を積みました。

1708年、ミュールハウゼンを去ったバッハは、ワイマールで領主ヴィルヘルム・エルンスト公によって優遇され、約10年間過ごしました。私生活においては前年結婚したマリア・バーバラとの間に6人の子(2人は出産後すぐに死亡)を授かり幸福な日々を送ります。しかし、恵まれた環境下で後に宮廷楽師長(コンサートマスター)にまで昇進しますが、結局10年も仕えていながら望んでいた最高の地位である宮廷楽長にはなれませんでした。
宮廷オルガニストとして領主の居城内にあった「天の城」と呼ばれた美しい教会で頻繁に演奏し、オルガン曲を多数作曲しました。また宮廷楽師としては、15名ほどの宮廷楽団の一員として、チェンバロやヴァイオリンの演奏も担当しました。

1712年、益々オルガンに傾倒していたバッハは、ハレのマルクト教会(聖母教会)の大オルガンに魅せられ、教会オルガニストに志願し、一旦採用が決まりました。しかし給料等の条件が悪く、しかもワイマール公が宮廷楽師長への昇進と昇給で慰留したこともあり、ワイマールにとどまりました。ハレは、ヘンデルの生まれた街として知られています。バッハゆかりのマルクト教会は、ルターが3度説教を行ったプロテスタントの牙城で、ヘンデルが洗礼を受けた教会でもあります。
またバッハの長男フリーデマンは、18年間教会オルガニストを務めていました。

画像: 教会内にあるヘンデルの洗礼盤

教会内にあるヘンデルの洗礼盤

画像: ハレのマルクト教会内部

ハレのマルクト教会内部

1716年にバッハはこの大オルガンの改造後に試奏に招かれていますが、バッハが弾いたオルガンの中で最も規模が大きく、保存状態の良いものです。
宮廷楽師長になったバッハは、毎月カンタータを1曲作曲して上演するという義務を負わされました。
そして作曲を重ねる過程でカンタータの作曲技法も確立していきます。
しかし宮廷楽長が亡き後もその後任になれなかったことは、少なからずバッハの気持ちがワイマールから離れてしまう要因になったでしょう。

1717年、長年望んでいた「宮廷楽長」のポストを用意すると申し出たケーテン侯レオポルトの誘いに応じて、ワイマールを去りました。ワイマールには、ゲーテ、シラー、リストなどの住居が記念館として公開されていますが、10年間も住んでいだバッハの住居は残っていません。
マルクト広場に面した場所に、バッハの住居跡を記した銘板があり、その斜め前のあまり目立たない場所に胸像があるだけです。

画像: ワイマールの住居跡の銘板

ワイマールの住居跡の銘板

画像: ワイマール国民劇場前のゲーテとシラーの像

ワイマール国民劇場前のゲーテとシラーの像

バッハが異彩を放った街ケーテン

▷ケーテン

ケーテンはライプツィヒの北約50kmに位置する小さな街で、アンハルト・ケーテン侯の城下町として栄えました。

ケーテン侯レオポルトは大の音楽好きで、18名の優秀な奏者からなる立派な宮廷楽団を持っていました。
バッハは宮廷楽長として恵まれた環境が約束され、この地に骨を埋めても良いとまで思っていました。しかし、君主はプロテスタント諸侯でも教会音楽を重んじないカルヴィン派の信奉者で、世俗の音楽の作曲ばかりを求め、敬虔なルター派の信者だったバッハの心は、次第に離れていきます。
そしてレオポルトが結婚した相手が、音楽には全く興味がなく、その影響でレオポルト自身が音楽に関心を示さなり、宮廷楽団も縮小されることになりました。そのことがケーテンを去る決定的な理由になったようです。

ケーテン時代の6年間は、バッハの作曲活動の中で異彩を放つ時期で、宗教色のない「ブランデンブルク協奏曲」や「無伴奏チェロ組曲」等の優れた作品を世に遺しました。

1720年には最愛の妻マリア・バーバラが急死し、私生活の面で大きな転機が訪れました。
翌年、子供たちのことも考え、アンナ・マグダレーナと再婚しています。彼女は宮廷歌手としてレオポルトに仕えるほど音楽的才能もあり、バッハ作品の写譜などでも貢献しました。彼女との間には、13人の子供に恵まれました。

バッハゆかりのケーテン城には、バッハが御前演奏をしたといわれる「鏡の間」や息子の洗礼式が行われた礼拝堂などのあるルートヴィヒ館が再建され、歴史博物館として公開されています。その塔の外壁にある有名な銘板には、「1717年~1723年、バッハはここで不滅の芸術作品を創作した、祖国よ、彼を誇れ、しかし同時に彼の名に値するものであれ」と記されています。
生誕200年の1885年には、バッハが住んでいたといわれる場所付近に胸像が建てられました。

画像: 宮廷楽長バッハの活躍の場だったケーテン城内の「鏡の間」

宮廷楽長バッハの活躍の場だったケーテン城内の「鏡の間」

画像: ケーテン城の外壁にあるバッハの記念銘板

ケーテン城の外壁にあるバッハの記念銘板

画像: 住居のあった場所近くにあるバッハの胸像

住居のあった場所近くにあるバッハの胸像

※画像は全て山本直幸講師提供

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同行講師のご紹介

画像: 講師:山本 直幸氏

講師:山本 直幸氏

ベルリン留学中6年間、オペラ・コンサート通いの日を送る。
特にヨーロッパの歴史や音楽・美術への造詣が深く、長年音楽旅行企画に携わり、ツアーにも同行し現地で案内役も務める。海外添乗・駐在日数は4,000日以上。音楽雑誌等に音楽旅行記事を多数寄稿。

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