2020年は、ベートーヴェン生誕250年のメモリアルイヤーです。
今後世界中でベートーヴェンの存在がクローズアップされ、コンサートホールや歌劇場では、ベートーヴェン作品が取り上げられる機会は増えることでしょう。
またその作品を理解する上で、彼が生まれ、活躍した街々を訪れ、ゆかりの地をめぐることはとても意味があります。

まずは生誕地ボンへ

ベートーヴェンが生まれたボンは、世界遺産の大聖堂がある大都市ケルンの南東約25kmに位置し、ケルン同様、その歴史は古代ローマ時代にまで遡りますが、歴史的に果たした役割は小さく、13世紀に都市として栄えたケルンの強大な市民勢力に追われた大司教の宮殿があるだけの小さな街でした。

ベートーヴェンが仕えた大司教マクシミリアン・フランツの時代(1784年~94年)が、宮廷や街に最も活気がありました。

その後街は、フランス革命軍によって占領され、大司教がボンを追われて荒廃し、さらにナポレオン後にはプロイセンに併合され、街として繁栄を見ることはありませんでした。

第2次大戦後は、西ドイツの首都になり、戦後史の重要な役割を担うと同時に、人口増加に伴い急速な発展を遂げましたが、1990年に再統一したドイツの首都がベルリンに決まり、その地位を失ってしまいました。

しかしボンは、偉大なベートーヴェンの生誕地として、音楽史上その重要な地位を失うことはありません。

画像: ベートーヴェン像

ベートーヴェン像

ベートーヴェンは1770年12月17日に生まれました。

家は祖父の代から音楽家としてその宮廷に仕えていました。

祖父はバス歌手で宮廷楽師長、父ヨーハンも宮廷のテノール歌手でした。

後にベートーヴェン自身もオルガニスト、ヴィオラ奏者として大司教に仕えることになります。

その仕えた君主が、マリア・テレジアの末息子、皇帝ヨーゼフ2世の弟で、大学を設立したり、宮廷音楽を奨励したり、文化・芸術にとても理解のあったハプスブルク家のマクシミリアン・フランツだったことは幸いでした。

作曲も始めていたベートーヴェンの豊かな才能を認め、ウィーン留学を許可し、最終的なウィーン行きの大きな力にもなってくれたからです。

ベートーヴェンが初めてウィーンを訪れたのは、1787年4月です。

その際皇帝ヨーゼフ2世に謁見できたのも、マクシミリアン・フランツが書いて持たせた推薦状のおかげでした。

ベートーヴェンは、ウィーン到着後すぐにモーツァルトを訪ね、即興演奏を披露し、弟子入りが許されたといわれています。

しかし母の危篤の知らせが届いたため、わずか2週間でウィーンを去ることになりました。

画像: ベートーヴェン生家銘板・・・「1770年12月17日にこの家で生まれた」

ベートーヴェン生家銘板・・・「1770年12月17日にこの家で生まれた」

母の死後、父は酒に溺れ、まだ16歳のベートーヴェンは音楽活動をしながら2人の弟の面倒もみなければならず、大変な苦労を強いられたようです。

1792年11月、21歳のベートーヴェンはボンを離れ、再度ウィーンへ旅立ちました。

マクシミリアン・フランツより与えられた有給休暇は1年という期間付きの留学でしたが、結局ベートーヴェンはウィーンを永住の地として選び、2度とボンに戻ることはありませんでした。

ボンのベートーヴェンゆかりの地

画像: ベートーヴェン生家(記念館)

ベートーヴェン生家(記念館)

ベートーヴェンに最もゆかりのある場所は、勿論現在記念館として公開されている生家です。

一家はここにベートーヴェン誕生後も数年住み、後に3度引っ越したといわれていますが、現存する建物はこの生家だけです。

1889年にベートーヴェン協会が建物を買い取り、世界最大級のコレクションを所有する記念館にしました。

館内にはヴィオラやハンマークラヴィアなどの遺品、直筆の手紙や楽譜、デスマスク、胸像、補聴器などが展示されています。

そのすぐ近くにはベートーヴェンの洗礼教会で、10歳からオルガンを弾いていた聖レミギウス教会(旧ミノリーテン教会)があります。

実はベートーヴェンの生誕日を証明する記録はなく、この教会で洗礼を受けた1770年12月17日の前日が定説になっています。

ベートーヴェンが仕えた宮廷の舞台は、大司教の宮殿になりますが、現在はボン大学の校舎になっています。

彼も18歳のときに大学に通い、大学創始者である君主マクシミリアン・フランツの影響下で啓蒙主義思想を学んでいます。

画像: ミュンスター聖堂(左)/聖レミギウス教会(右)

ミュンスター聖堂(左)/聖レミギウス教会(右)

ボンのシンボル的な建造物は、11世紀~13世紀にロマネスク様式で建てられたミュンスター聖堂で、宮廷オルガニストになったベートーヴェンがオルガンを弾いたゆかりの場所でもあります。

この聖堂に隣接したミュンスター広場には、ベートーヴェン生誕75年を記念して建立させた有名なベートーヴェン像があります。

1845年8月12日にはイギリスのヴィクトリア女王やプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が列席して除幕式が盛大に行われました。

その際3日間、リストの指揮でベートーヴェン作品が演奏されたのが、ベートーヴェン音楽祭の始まりです。

ちなみにリストは何度も資金集めの演奏会を催すことで銅像の建立のための費用の1/5を工面し、「ベートーヴェン記念碑の除幕式のための祝祭カンタータ」という曲も書いて演奏しています。

音楽祭はその後断続的に生誕100年、没後100年などに開催され、1999年から現在のように毎年9月~10月に4週間の日程で開催されるようになりました。

現在のベートーヴェン・ホールは、国際音楽祭として規模が拡大されたベートーヴェン音楽祭のメイン会場として、1959年に建てられたホールを、1996年に1980名まで収容可能な大ホールに改築されたものです。

画像: ベートーヴェン・ホール前にあるベートーヴェンのモニュメント

ベートーヴェン・ホール前にあるベートーヴェンのモニュメント

その他ベートーヴェンの母やシューマン夫妻などが眠る旧墓地、ベートーヴェンが通ったといわれる老舗レストラン「エム・ヘッチェ」は外せないゆかりの場所になります。

画像: 美しい市庁舎の左隣にある「エム・ヘッチェ」

美しい市庁舎の左隣にある「エム・ヘッチェ」

画像: ベートーヴェン母の墓所

ベートーヴェン母の墓所

画像: シューマン夫妻の墓所

シューマン夫妻の墓所

後日、ウィーンでのベートーヴェンについてご紹介します。ボンとウィーンのベートーヴェンゆかりの地をめぐり、ウィーン楽友協会ホールでウィーン・フィル演奏の「第九」を鑑賞するツアーをご用意しています。

画像: 【クラブツーリズム 音楽の旅】 旅の文化カレッジ講師 山本 直幸 ベルリン留学中6年間、オペラ・コンサート通いの日を送る。 特にヨーロッパの歴史や音楽・美術への造詣が深く、長年音楽旅行企画に携わり、ツアーにも同行し現地で案内役も務める。海外添乗・駐在日数は4,000日以上。音楽雑誌等に音楽旅行記事を多数寄稿。

【クラブツーリズム 音楽の旅】
旅の文化カレッジ講師 山本 直幸
ベルリン留学中6年間、オペラ・コンサート通いの日を送る。
特にヨーロッパの歴史や音楽・美術への造詣が深く、長年音楽旅行企画に携わり、ツアーにも同行し現地で案内役も務める。海外添乗・駐在日数は4,000日以上。音楽雑誌等に音楽旅行記事を多数寄稿。


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