「サウンド・オブ・ミュージック」の街
「サウンド・オブ・ミュージック」の主人公マリアは実在の人物で、チロル生まれの孤児でノンベルク尼僧院の修道女でした。トラップ男爵(大佐)はオーストリア軍最高の名誉であるマリア・テレジア勲章を授かった第一次大戦の英雄で、妻に先立たれ残された子供たちの面倒をみてもらうために、マリアをザルツブルク郊外アイゲンの館に迎えました。やがて子供たちにも好かれたマリアはトラップ男爵と結婚、1937年からは7人の子供とマリアからなる「トラップ・ファミリー合唱隊」の演奏旅行が始まりました。しかし翌年3月11日ヒトラーがオーストリアを併合、ヒトラーに屈することを嫌ったトラップ一家は、危険を冒してアメリカに渡ることになります。その後一家は「トラップ・ファミリー・シンガーズ」として、1956年の解散までアメリカを中心に約30カ国で演奏旅行をしてすっかり有名になりました。マリア・フォン・トラップの書いた自伝「トラップ・ファミリー・シンガーズ物語」は20カ国語に翻訳されましたが、まずドイツの映画会社が「トラップ・ファミリー」という映画を製作し、続編も作り反響を呼びました。日本でも「菩提樹」という名で封切られ、人気を博しています。
アメリカではまずブロードウェイの目にとまり、1959年ミュージカルとして大成功を収め、1965年ハリウッド映画「サウンド・オブ・ミュージック」が完成しました。「ドクトル・ジバコ」等の作品とアカデミー賞を争い、5つのオスカーを獲得し、世界中で上映されました。
多くの観光客が映画の舞台になったザルツブルクを訪れるようになりましたが、当時地元では「エーデルヴァイス」の歌は知っていても、実際には映画を観たこともないばかりか、監督のロバート・ワイズや主人公マリアを演じたジュリー・アンドリュース、映画の題名すら知らない人もいるくらいでした。その理由はオーストリアやドイツではあまり上映されなかったからです。オーストリアが主権を回復したのは1955年、同時にザルツブルクからもアメリカ軍が撤退したものの、第二次世界大戦の傷はまだ完全に癒えていない時期でもあり、トラップ一家は500回以上の演奏旅行中に寄付された大量の物資を故国オーストリアに送ったりもしていたのですが、大戦を扱った映画には大きな関心を持てなかったのでしょう。
ちなみに映画の舞台は事実とは幾つも違っていました。例えばマリアが結婚式を挙げたのは、映画にあるモントゼーの教会ではなく、ザルツブルクのノンベルク尼僧院でした。またトラップ男爵の家として撮られたレーオポルツクロン宮殿は一度も彼らの住居になったことはなく、ラストのスイスに逃走するシーンにいたっては、ウンタースベルクを越えた先は中立国スイスではなく、ドイツ領、しかもヒトラーの山荘イーグル・ネスト(鷲の巣)の近くなのです。しかし事実に反したこのアメリカ的架空の「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台がとても美しいというのは事実で、映画とは無関係にこれらを巡ってみても旅のよい思い出になるでしょう。
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