生粋のウィーン子シューベルト
1797年1月31日に、教師の12番目の子としてウィーンで生まれたシューベルトは、1828年年11月19日に31歳の若さでこの世を去るまで、ほとんどウィーンを離れることもなく、まさにウィーンで生まれ、育ち、活躍し、没した生粋のウィーン子と言えるでしょう。
音楽的な才能を見いだされたシューベルトは、11歳の時に寄宿舎制神学校の奨学金を得て入学し、変声期を迎える17歳まで宮廷礼拝堂聖歌隊にも所属していました。すでに作曲を始め、サリエリなどの指導も受け、本格的な作曲活動に入ります。1814年にドイツ歌曲の出発点ともいわれる「糸を紡ぐグレートヒェン」を書いて以来、歌曲作曲家として約600曲の歌曲を遺しました。
尊敬するベートーヴェンが、1827年に亡くなると、葬儀に参列して、棺を担いだと言われています。そしてシューベルトはその1年半後に亡くなりますが、遺体はベートーヴェンの隣に埋葬されました。1888年に遺体が中央墓地へ移された後もベートーヴェンの横に眠っています。
ヨハン・シュトラウス・ファミリー
全世界にテレビ生中継されるウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの演奏曲目で知られる作曲家一家、ヨハン・シュトラウス・ファミリーは、「ラデツキー行進曲」を作曲したヨハン・シュトラウス1世を筆頭に、その3人の息子のヨハン・シュトラウス2世、ヨーゼフ、エドゥアルトが、ワルツ作曲家として広く愛されています。
特に「ワルツ王」と称されるヨハン・シュトラウス2世は、「美しく青きドナウ」「ウィーンの森の物語」「皇帝円舞曲」などのワルツだけでなく、「こうもり」などの傑出したオペレッタも数多く作曲しました。
ヨハン・シュトラウス像
ヨハン・シュトラウス2世の没後すぐに記念像を建立することになり、1907年には現在の場所に設置されました。その後大理石のレリーフに囲まれた豪華な記念碑になったのは1921年のことで、その除幕式にはウィーン・フィルが「美しき青きドナウ」を演奏しました。1991年に金箔が貼られて黄金の像になり、音楽の都ウィーンの人気写真スポットとして訪れる人の絶えない場所になっています。
新ウィーン楽派
20世紀初頭に「無調音楽」という新しい音組織の概念と「十二音技法」という斬新な作曲技法を切り拓いたシェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクなど、「新ウィーン楽派」と呼ばれるウィーン生まれの作曲家が活躍しました。1918年のハプスブルク家崩壊後にウィーンを離れましたが、その後の音楽界に多大な影響を与えました。
クラブツーリズムでは、通年ウィーンを訪れるツアーをご用意していますが、「山本講師同行ツアー」では、自由時間を利用してご希望の方々を、講師がリング内、周辺の音楽家ゆかりのスポットへ徒歩や路面電車でご案内しています。
出発決定!
お問い合わせは・・・
クラブツーリズム 海外音楽鑑賞の旅「アンコール」
お電話: 03-5323-4455(月~土 9:15~17:30)(日・祝 9:15~13:00)
メールアドレス: td.culture@club-tourism.co.jp
住所:東京都新宿区西新宿6-3-1 新宿アイランドウイング
クラブツーリズムから旅に関する最新の情報をお届け!
クラブツーリズムからメールマガジンをお届けしています。
1万件以上あるツアーの中から厳選した、人気のツアーや限定ツアーの情報をご希望の方はメルマガ会員への登録をお願いします。
◎クラブツーリズムのWEB会員でない方はこちらから
◎クラブツーリズムのWEB会員だけれどもメルマガは受信していない方はこちらから
※既にインターネット会員の方も、配信設定を変更することでメールマガジンをお受け取りいただけます。ログイン後、メールマガジンの設定を変更ください。
SNSでも最新の情報をお届けしています。旅に関する最新の情報を共有しましょう!
・LINE
・インスタグラム
・facebook
・youtube