日本でも大人気の三国志!クラブツーリズム独自の視点から三国志のその魅力を探ります!初めて三国志を学ぶ方も、三国志を様々な角度から深めたい方も楽しめる情報満載でご案内する本シリーズ。第4回目は、前回に引き続き三国志とお酒の関係性について紐解いていきます(2022年1月5日更新)
皆様、こんにちは!クラブツーリズム中国五千年倶楽を担当しております王と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、『お酒が作った三国志』の「一杯目」では、お酒の「悪口」をいっぱいお話ししましたが、「二杯目」ではお酒の「良い話」をさせていただきます。
目的を果たし、計を巡らせる大役の「お酒」
最初に、お酒が「手段」として活用された物語を3つほどご紹介いたします。
一つ目、『曹操と劉備、酒を煮て英雄を論じる』
劉備が曹操と手を組んで呂布を倒した後、一緒に許都(現在の河南省・許昌市)へ行き、しばらく身を寄せることになりました。自分の野心が曹操にバレないよう、劉備が政治に無関心な振りをして毎日裏庭で野菜ばかりを作って過ごしていました。
ちょうど梅が青く実る季節のある日、曹操が青梅のある庭で一緒にお酒を飲もうと劉備を誘いました。お酒がいい具合に入った頃、突然空模様が急変し、たちまち龍のような形の雨雲が現れてきました。激しく動き流れる雨雲を見上げながら曹操がこう語り、劉備に問いかけました。
「龍たるモノは、身の置く状況に応じて自在に形相を変化できる。有利な時は凄まじい姿で天までも舞い昇り、不利な時は地や海の波間にでもひっそりと潜むことができ、まさしく英雄そのものだ。貴公は各地を回り見聞も広いゆえ、今日の英雄と思える人の名を言ってみたまえ。」
劉備が慎重に何人かの地方軍閥の名前を出して淡々と答えましたが、聴いた曹操がからからと大笑いし、「そいつらはみな有名無実な連中だ!今日の英雄に数えられる人は、貴公とわしだけだ!」と劉備の顔をじっと見て更に突っ込んできました。自分の野心が見破れてしまったと、恐れた劉備は思わずぽろりとお箸が震えた手から滑り落ちてしまいました。幸い、ちょうどその時大きな雷が鳴り響いたので、劉備が慌てて「雷の音が怖くて醜態を見せてしまった」とごまかしました。
この物語では、曹操が劉備にお酒を飲ませ、彼の本音を吐き出そうとしていましたが、「雷の音にビビり、お箸まで落ちてしまった劉備の失態」を見て、警戒するまでもないと判断しました。劉備も機転が利いて上手にごまかせたお陰で曹操に油断させ、後に袁術を討伐する口実を見つけ、無事に曹操から脱出することができました。
二つ目、『周瑜(しゅうゆ)が酒酔いを装って、反間計を巡らす』
赤壁の戦い(長江で繰り広げられた三国志三大戦いの一つ)の直前、孫権(呉)の最高司令官である周瑜(しゅうゆ)に降参させようと曹操側から策士の蒋幹(しょうかん)がやってきました。幼馴染である蒋幹のために、周瑜が盛大な歓迎の宴を設けました。宴会中に、周瑜が最初は普通の盃で飲んでいたが、物足りないと叫び出して今度は大きい「闘」(とう)に変え(今でいうとグラスからジョッキに)、グイグイと酒を飲み、更に歌いながら剣を舞い、酔っぱらった振りを見せました。
宴会が終わった後、一緒に寝転がって思う存分昔話をしようと、すっかり「酔った」周瑜が蒋幹の手を取り自分のキャンプへ連れて行きました。「泥酔してグーグーと鼾をかく」周瑜を見て、蒋幹が机の書簡類を盗み見したら、なんと蔡瑁(さいぼう)と張允(ちょういん)(ともに曹操側の武将)から周瑜宛の降伏の手紙を見つけました。夜が明けるのを待って、蒋幹が手紙を懐中に閉め急いで長江を渡り曹操の元に奔り戻りました。手紙を読んで激怒した曹操が直ちに蔡瑁と張允を斬首してしまいました。
実は、殺されたこの二人が曹操軍の中で、唯一「水上の戦」を熟知する武将であり、孫権(呉)側にとっては一番の脅威でした。周瑜が酒酔いを装って、偽の手紙を蒋幹に盗ませ、曹操とこの武将2人を反間させました。つまり、周瑜が戦う前に反間計を巡らして脅威を取り除いたわけです。
ご存知の通り、赤壁の戦いでは、曹操が貴重な水上の戦に長ける人材を誤って殺したので、ほとんど陸戦の経験しかない兵士の船酔いを防ぐために、鎖ですべての船を繋げる「愚策」を採用しました。結果、孫権(呉)・劉備連合軍に火攻めされ、すぐに鎖から船を外して逃げることができず、80万の大軍がほぼ全軍覆滅に至るまで大敗を喫しました。 赤壁の戦いでは、お酒が大役を務めた「反間計」、その後の「苦肉の計」と「連環の計」に諸葛孔明が呼び起こした東南の風も加わり、ついに孫権(呉)・劉備連合軍を大勝利へと導きました。
三つ目、『張飛 酒を使って瓦口関(わこうかん)を奪取する』
さて、「一杯目」のブログでは、張飛の「泥酔して寝首を斬られる」などの失敗談をお話しましたが、張飛がお酒を利用した美談もあります。
成都を手に入れた劉備が漢中奪取に張飛に出征させ、曹操がまず漢中手前の瓦口関(わこうかん 砦)を張郃(ちょうこう 武将)に兵を籠らせてひたすら守るようと命じました。 張飛が連日、関の前で戦いを挑んでも張郃が門を固く閉ざして応戦してくれませんでした。そこで、張飛が諸葛孔明から贈られてきた成都の名酒50壷を全部開け、関の前に張られた陣屋の外で将士らとがぶがぶ飲んで騒いでいました。「お酒に溺れている張飛軍」を見た張郃が急襲することを決めました。
深夜、曹操軍が「泥酔した張飛軍」からの抵抗もなく順調に陣屋を突破でき、勢いに乗った張郃が一気に張飛のキャンプまでやってきました。中に入って「酒壷に凭れて寝ている張飛」を力いっぱい突き刺し、おや?!声も出ない!血も出ないと不思議に思ったその瞬間、「張飛ならここに在り!首を残せ!」と雷如くの声に伴い張飛が幕の後ろから表れてきました。突然「酔い」から「目覚めた」張飛軍が起き上がって戦い、張郃が生き残った兵士と狼狽して逃げ戻っていきました。張飛がお酒を利用してまず曹操軍から貴重な馬と輺重(しじゅう 軍用品)を手に入れ、その後魏延(ぎえん 武将)と力を併せてすぐに瓦口関を攻め落としました。
この3つの物語では、ともにお酒が「目的を果たす、計を巡らす」手段として使われていましたが、曹操の方は劉備の機転利いたゴマカシで失敗し、周瑜と張飛が演技も上手だったので大成功しましたね。
詩のインスピレーションを与え、英雄の心を支えてくれた「お酒」
さて、ここからは今の中国で、お酒を飲む時によく口にされる曹操の有名な詩をご紹介します。
官渡の戦い(200年)で、曹操がわずかの兵力で10倍もの袁紹(軍閥)大軍を破り、7年後についに中国の北方地域を統一できました。その後、意気揚々の曹操が孫権を征服しに80万の大軍を率いて長江までやってきました。戦(赤壁の戦い 208年)の前、文官武将らを呼んで船で宴会を開きました。北方を統一した誇りと優秀な人材に囲まれ、お酒が気持ちよく進んだ曹操が、片手に槍(やり)を握り片手に盃を持って船上に立ち、月の光に輝いて滔々(とうとう)と流れる長江を眺めながら『短歌行』を詠いました。
対酒当歌 人生幾何 譬如朝露 去日苦多 慨当以慷 幽思難忘 何以解憂 惟有杜康...
杜康(とこう)は初めてお酒を作った人で、後に酒の神様とされ、杜康(とこう)もお酒の代名詞となりました。
この詩の大体の意味は、「酒を前にして飲んだら大いに歌うべし。人生なんて、朝露のような短いもので、ただ過ぎ去った日々が実に多い。感情が高ぶるまま歌うのがよいが、心底にわだかまった憂鬱は忘れようとも去ってはくれない。何をもってこの憂いを取り除こうか、ただ杜康(お酒)が有るのみだ。」
心底の憂鬱とは、中国全土を統一するまで、まだ孫権、劉備らが征服できていないこと。それでもお酒さえがあれば、この憂いを追い払えると、曹操がこの詩を通じて中国統一の志を改め、そしてお酒さえあれば、この夢は実現できるという自信も見せ示しています。
曹操にとって、お酒は詩のインスピレーションを与えてくれるものであり、初心貫徹の支えでもありますね。
<余談> 曹操の息子の曹丕が、親父からグルメ好きのDNAを受け継いだと2回目の記事でお話しましたね。実は、曹操のもう一人の息子の曹植(そうしょく)が、父親から詩の才能を受け継いでいます。
曹操の後継者争いで、曹丕が勝って王になってからも、曹植の才能を妬んでいました。ある日、曹丕が曹植を呼び、こう命じました。「先帝(曹操)が常にお前に詩の才能があると口にされてたんだが、他人の真似に過ぎないと世間に疑問視する人もおる。今から七歩を歩むうちに詩を作れなければ、先帝を欺いた罪で第八歩でお前を斬首する!」曹植が涙ぐんで見事に応対し、あの有名な『七歩の詩』を詠いました。
煮豆燃豆萁、豆在釜中泣。本是同根生、相煎何太急。萁(き)とは豆殻のこと
【詩の意味】豆を煮るに豆殻(燃料として)を燃やし、豆が釜(鍋の意味)の中で泣いている。同じ根っこより生まれたのに、こんなに煎じる(煮る)ことを急ぐのは何の為だ?!
曹植は、曹丕を豆殻に例え、自分を鍋に入れられた豆に例えています。同じ親から生まれた兄弟同士なのに、こんなに俺を急いで殺そうとするのは何の為だと、兄弟関係を強調しつつも遠回しして怒りを表しています。
この詩の最後の2句が特に有名で、今もよく使われています。例えばこんな時:同郷/社内同士なのに、出世/権利争いで虐められ、または計算された側が、怒りと無念の気持ちを表す時、「同じ根っこから生まれた同士なのに、ここまで追い詰めるなんて酷い!」
ちなみに、曹操が本来聡明な曹植に後を継いでもらおうと考えていましたが、お酒が大好きな曹植は、ある夜、酔っぱらって馬に乗り、皇帝専用の司馬門(皇居の外門)を破って奔り通りました。この司馬門事件で曹操が失望してしまい、曹植が後継者争いに負けた原因の一つとされています。
三国時代はどんなお酒を飲んでいた?
さて、お酒に纏わるストーリーを2回に分けてたくさん話してきました。三国志から見るお酒は、著者にとっては魔法の筆であり、英雄たちにとっては、時には気持ちを晴らしてくれる「良友」、時には謀略を巡らす「万能の道具」、時には失敗と命取りの「無形な凶器」にもなりますね。まさに、「お酒がなければ三国志が書けない、お酒がなければ三国志の英雄を語れない」ですね。では、いったい三国時代はどんなお酒を飲んでいたのでしょうか。
中国のお酒と言えば、紹興酒(しょうこうしゅ)やアルコールの高い「白酒」(バイジュ 泡盛に近い)のイメージが強いが、実は三国時代に蒸留技術がまだ生まれていないため、米や高粱(こうりゃん)を蒸してから自然発酵させたアルコールの低い、今の甘酒のようなモノをろ過した濁ったお酒が殆どだったと言われています。また、飲み方も、上記『曹操と劉備 酒を煮て英雄を論じる」の物語にあったように、お酒を温めてから飲むのが習慣でした。ただし、戦乱が続く時代なので、酒造りに米などを使うより、民衆や兵士の食料の確保を優先し、曹操も劉備も禁酒令を出していた時がありました。
また、曹操の後継者、魏を建国した曹丕が葡萄酒を好んで飲んでいました。「葡萄酒は味が実に甘美で酔い覚めも速い」と彼の葡萄酒に関するコメントも史籍に残っています。
前漢の武帝が紀元前の138年と119年に、西域諸国(現在の中国西部~ユーラシア大陸にわたるシルクロード)に使者として張騫(ちょうけん)を2度も派遣しました。葡萄が張騫より中国に持ち帰られ、河西回廊(かせいかいろう、現在の甘粛省・敦煌~武威~蘭州)地域で先に栽培され、葡萄酒造りも始まりました。ただ、葡萄は季節性が強く、醸造技術もまだ発達していないため、葡萄酒が高級品として皇族とごく一部の侯爵しか味わえなかったそうです。
更に、史籍によれば、後漢の末、孟陀(もうだ)という人が60キロの葡萄酒で皇帝側近の宦官(かんがん)に賄賂し、涼州(現在の甘粛省・武威)長官の座を手に入れたとの記載もあります。つまり、今私たちが普通に飲んでいる葡萄酒(ワイン)は、1,800年前の時代では、地方長官の官職まで買える価値があったんですね。
お正月に飲むあの〇〇は、この時代に生まれた~
元旦の日にお屠蘇(とそ)を飲む習慣は日本にもありますが、実は、お屠蘇を発明したのが三国時代の名医、三国志では曹操の頭痛、関羽の毒傷を治した華陀です。屠蘇など数種類の漢方薬をお酒に入れて作った薬酒で、体を温め血行を良くし、風邪と疫病予防の効果があると言われています。
三国時代と現代を繋げるお屠蘇、1,800年前に生まれた食文化と習慣が、中国だけでなく海外まで伝わってきていますね。歴史って、ロマンですね。
<酔い覚めクイズ> 一番の酒豪は誰だ?
お仕舞いに、酔い覚めのクイズをご用意いたしました。『お酒が作った三国志 一と二杯目』に出た下記四人の中、誰が一番の酒豪なのか、当ててみてくださいね。正解と説明は答えた後に画面に表れてきます。
正解は周瑜です。
張飛がよくお酒を飲むものの、すぐ酔ってしまいます。彼の失敗の数々から、張飛がただの酒好きで飲める人とは言い難いですね。関羽と曹操は飲めるかどうか、三国志の中では関連の記述が少ないため不詳です。周瑜だけ、あんなにグイグイと飲んだのにも関わらず、ちゃんと蒋幹を騙して偽の手紙を盗ませたんですね。 よって、周瑜がこの4人の中で一番の酒豪になるわけです。
いかがでしたか?正解でしたか?
さて、三国志のお酒に関する物語は「三杯」でも「四杯」でも行けますが、やはり「飲み過ぎが禁物」なので、お酒の話は今回を持って終了とさせていただきます。では、名残惜しいですが、今宵は温かい甘酒を「一杯だけ」飲みましょうか。
次回は『名馬が踏み開いた三国への道』です。ぜひお楽しみください。
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第6回「名馬が踏み開いた三国への道②」
第7回「三国志を美しくした女性たち①」
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第9回「名言が語る三国志 曹操編①」
第10回「名言が語る三国志 曹操編②」
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