ウィーンとマーラー
▷作曲家 グスタフ・マーラー
マーラーは、オーストリアやドイツで活躍した作曲家・指揮者なので、チェコというイメージは薄いですが、当時はハプスブルク家の支配下にあったチェコの小さな村(現在人口100人ほど)、プラハから南東へ約200kmに位置するカリシュトで、1860年7月7日に生まれました。
▷マーラーの生い立ち①
| 1860年 | チェコのカリシュトで生まれる |
| 1869年 | 9歳の時にピアノを学ぶ |
| 1870年 | 10歳の時にはすでに公の場でピアノを演奏するほど音楽的才能に恵まれていた |
| 1875年 | 15歳の時にウィーン楽友協会音楽院(現ウィーン国立音楽大学)に入学して 本格的な音楽教育を受ける |
| 1877年 | 17歳の時にはウィーン大学でブルックナーから和声学についての講義を受け 交友関係も築いた |
| 1878年 | 音楽院を卒業後は、しばらくの間ピアノの家庭教師などをしていたものの やがてウィーンを離れ、指揮者として音楽家の道を歩むことに |

チェコの小さな村カリシュトに残るマーラーの生家

ウィーンで10年間住んだ住居跡銘板
マーラーは再びウィーンに戻るまでに、カッセル、プラハ、ライプツィヒ、ブダペスト、ハンブルクの劇場で指揮者として実績を積み、着実に名声を高めます。
▷マーラーの生い立ち②
| 1888年 | 作曲家としての出発点となる交響曲第1番をライプツィヒで完成 |
| 1891年~1897年 | ハンブルク市立劇場の首席指揮者を務める |
| 1893年~1896年 | 夏の間だけザルツカンマーグートにある アッター湖畔の街シュタインバッハの小さなホテル「フェッティンガー」に滞在し 湖畔に作曲するための小屋を建て、早朝から午前の間、作曲に専念する日々を送った。 交響曲第1番の改訂(現在演奏されている第3稿)だけでなく、 交響曲第2番と交響曲第3番を作曲。 |
| 1897年 | マーラーはウィーン帝立宮廷歌劇場(現国立歌劇場)の音楽監督(後に総監督)に就任 |
| 1898年 | 宮廷歌劇場の楽団員から成るウィーン・フィルの首席指揮者も兼務し 活動拠点を完全にウィーンに移す |
| 1900年~1907年 | 夏の間はシュタインバッハのような自然豊かな地で作曲活動に専念するために、 オーストリア南部のヴェルター湖畔の街マイアーニックに別荘を構え、 その裏山に小屋を建て、交響曲第4番~8番を作曲した。 |

ライプツィヒにある交響曲第1番を作曲した住居跡の銘板

シュタインバッハに残るマーラーの作曲小屋

マイアーニックに残るマーラーの作曲小屋
▷マーラーの生い立ち③
| 1907年10月 | 歌劇場内で様々なトラブルを抱えるようになり、歌劇場総監督の職を辞することに |
| 1907年12月 | アメリカに渡って翌年早々メトロポリタン歌劇場で 指揮者デビューを果たし成功を収めた |
| 1908年~1910年・夏 | イタリア北東部の山地ドロミテのトプラッハで過ごし そこでも作曲に専念するための小屋を建てて 交響曲「大地の歌」、交響曲第9番、交響曲第10番(未完)を書き上げた |
| 1911年2月 | 病状が悪化する中、最後の指揮機会となったニューヨーク・フィルの演奏会を終え 自ら最期の地と定めていたウィーンへ戻る |
| 1911年5月18日 | 51歳で亡くなり、5月22日にグリンツィング墓地に埋葬された |
| 1912年6月 | 交響曲第9番が楽友協会ホールでウィーン・フィルによって初演されたが マーラーが遺した全交響曲の中でウィーンで初演された唯一の作品である |

マーラーが亡くなった家跡

マーラーの墓所
▷ウィーン帝立宮廷歌劇場
1869年5月25日に完成したウィーン帝立宮廷歌劇場は、ハプスブルク家の支配が終わる第1次世界大戦後に国立歌劇場と改名していましたが、建物は1945年3月12日の空爆で破壊されました。
ほぼオリジナル通りに再建するために約10年の歳月が費やされ、1955年11月5日に再スタートしています。
座席数は1709席で、さらに567人入場可能な立見席がありますが、現在9月~6月のシーズンで約300回、オペラとバレエが上演され、シーズン全体の座席占有率は99%超えという盛況ぶりで、まさに音楽の都ウィーンを象徴する存在になっています。
この歌劇場の音楽監督・総監督を10年間務めたマーラーは、100以上の作品をレパートリーに取り入れ、自ら600回以上オペラを指揮しました。オペレッタは上演しないという慣例を破り、オペレッタの代表作「こうもり」を正式にレパートリーに加えましたが、それが現在に至るまで年末年始の定番公演になっています。その他批判や反発がありましたが、指揮者として上演の質を向上させるために積極的に改革を断行しました。
例えば上演中の客席の照明を落としたこと、遅れてきた観客の入場を禁止したこと、公演の人気を人為的に操作するために雇われた拍手専門の観客を排除したこと、人気歌手による無意味なカデンツァを禁止したこと、舞台の簡素化を図るためにモダニズムやユーゲントシュティール様式の舞台装置を取り入れたことなどが挙げられます。
さらに最も大胆な改革として評されたのが、「フィデリオ」の上演に際し、ベートーヴェンが序曲として作曲したレオノーレ第3番を、場面転換に時間を要する第2幕第2場への間奏曲として演奏することです。この試みはマーラーの時代には定着しませんでしたが、後に多くの指揮者が支持するようになり、今ではむしろ間奏曲として演奏されるようになりました。

全公演ほぼ残席状態になる国立歌劇場の客席
※画像は全て山本直幸講師提供
◇お申し込みはこちらから!
<山本直幸講師より>
私がご案内する2月のツアーでは、ネルソンス指揮のウィーン・フィル演奏会を2度、別プログラム、別会場で鑑賞できますが、ウィーンのマーラーゆかりの場所を訪れ、マーラーが自ら指揮台に立った楽友協会ホールで、交響曲第1番をお楽しみいただきます。
さらにご希望の方は、マーラーゆかりの国立歌劇場で最高のオペラ体験も可能です。
皆様のご参加をお待ちしております。
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同行講師のご紹介

講師:山本 直幸氏
ベルリン留学中6年間、オペラ・コンサート通いの日を送る。
特にヨーロッパの歴史や音楽・美術への造詣が深く、長年音楽旅行企画に携わり、ツアーにも同行し現地で案内役も務める。海外添乗・駐在日数は4,000日以上。音楽雑誌等に音楽旅行記事を多数寄稿
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