日本でも大人気の三国志!クラブツーリズム独自の視点からシリーズでその魅力を探ります!

皆様、こんにちは!クラブツーリズム中国五千年倶楽部を担当しております王と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、第一回では三国志関連の熟語と諺(ことわざ)をご紹介いたしましたが、今回は「美味しい三国志」と題して、「食」についてお話をさせていただきます。

三国時代の食べ物と食習慣

古くから「民は食を持って天となす」という言葉があり、また、国を意味する「社稷」(しゃしょく)という言葉の「社」は土地、「稷」は穀物の一種で、つまり、国が成り立つには土地と食物は同等に重要ということですね。では、今から1800年前、乱世の三国時代の人々はどんなモノを食べていたのでしょうか。
史料と出土品から、主食としては順番に稷(キビの一種)、黍、粟、麦、稲だったそうです。石臼がまだ普及されておらず、脱穀せずそのまま煮たり蒸したりして、きっと殻のままの小麦は食感があまり良くないせいか、主食の一番ではなかったのです。また、肉類なら、牛が畑を耕す不可欠な労働力、馬が大事な戦力のため、豚や鶏が一般的だと言われています。
戦乱続きの中、一般庶民は一日に朝と夕方の2食だけ、金持ちと高官なら3食、皇族らが一日4食を食べていたとか。そして、食事スタイルは、現在の円卓に大皿ではなく、まだ椅子が世に生まれていないため、厨房で先に小分した料理をそれぞれの小机に並べ、床に座って食べると、今の定食のようなスタイルでした。食器としては、調理器具は青銅器より鉄製が増え、高い階級の人たちが精巧な漆器、一般庶民は素朴な陶器、竹と木製のものを使っていたそうです。

<雑談> 中華料理が円卓大皿になった理由として、陸続きで文化と習慣が異なる多民族の中国は、毒を入れられていないかと疑うより、お互いに気兼ねなく食事ができるよう、同じ円卓を囲み、同じお皿から食べ物を取るようになったとの一説があります。同じ陸続きのヨーロッパも、大人数の食事の時は基本大皿からみんなの前で分け取るという習慣ですね。

ある「賢者」の命まで奪ってしまった食べ物は?

さて、小説の三国志は食べ物に関する描写はさほど多くないですが、一つだけ、ある食べ物がきっかけで一人の賢者が命を失ってしまった物語が登場しています。
219年、漢中(現在の陝西省漢中市)を巡って曹操と劉備の間に争奪戦が起きました。漢中は魏と蜀の境界線に位置しており、ここを収めれば、お互いにとって「後方を守れ、相手を侵攻できる」要衝中の要衝です。曹操が自ら大軍を率いて戦いに臨み、劉備が名将の趙雲(ちょううん)、黄忠(こうちゅう)、張飛らに応戦を命じました。

画像1: ある「賢者」の命まで奪ってしまった食べ物は?

なかなか決着がつかず数カ月の持久戦に入り、後方の安危も心配し始めた曹操が、一旦漢中を諦め退きたいが、「魏王」と宣言したばかりの自分がそんなことをしたら世間に笑われるのに違いないと、面子(メンツ)が邪魔でなかなか口に出せず悩んでもいました。
ある日の夕暮れでした。ちょうど曹操が出された鶏のスープを食べていた時、夜間の陣屋パトロールの合言葉を聞きに夏侯惇(かこうとん 魏の武将)がやってきました。曹操が鍋に残った「鶏肋」(けいろく 鶏の肋骨)を暫し見て、溜息を吐き「鶏肋」とつぶやいて返事しました。

夏侯惇が「鶏肋」の合言葉を各キャンプに伝え、それを聴いた軍事秘書官の楊修が、早速周りの兵士に引き上げの準備をさせ始めました。不思議に思った夏侯惇がその理由を尋ねたら、楊修が自慢げに笑いながらこう答えました。「曹操が合言葉を鶏肋にしたのは、今の漢中は我々にとって、鶏の肋骨部分を食べるのと同じで、骨が多くて食べにくいとも捨てがたい、けど、粘って戦っても兵力と食料を消耗するだけ、「鶏肋」はまさに今の私たちの「有り様」にピッタリの言葉だよ。曹操が自ら退くと言ったら世間の笑いものになるので、直言を避けながらも鶏肋という言葉で引き上げたい気持ちを表してるんだ!見てみろよ、間違いなく、もうじき我々は漢中から撤退するんだ!」
この話しがその夜たちまち各陣屋に広がり、数カ月の戦いで既に疲弊していた兵士らが大喜びし、騒ぎながらてんやわんやと撤退の準備を着手し始めました。つい、その騒ぎ声が眠れぬ曹操の耳まで伝わってしまい、理由を知った曹操が激怒し、「たった一つの合言葉から自分の本心まで読める楊修は極めて危険な人だ」と思い、軍事秘密の漏洩(ろうえい)と兵士の心を乱した罪名で、楊修の首を斬り陣の門に下げて見せしめにしました。
※楊修が見込んだ通り、その後、曹操大軍が漢中から撤退し都に戻って行きました。

聡明な楊修が、「鶏肋」の一言から曹操の本音まで察することができましたが、それを軽々人に喋ったことで自分の命まで失ってしまいました。
この物語は、処世術を教える時の事例として今もよく使わています。つまり、「先輩や上司より才能を持っていても、表に出すのは禁物」であり、「出る杭は打たれる」ので、「能ある鷹は爪を隠す」べきですね!

画像2: ある「賢者」の命まで奪ってしまった食べ物は?

「庶民派」の諸葛孔明 ~あの〇〇がこの時代に生まれた~

天才の軍師・諸葛孔明は、「食」とは何の関係があるのでしょうか。実は、諸葛孔明が発明したと言われている食べ物は、今も私たちが食べています。それは肉まんと焼きパンです。
諸葛孔明が5回も及ぶ北伐の他、225年に、南蛮地域(今の四川省南部と雲南省北部)の反乱を鎮めるため南征も行いました。『孟獲(もうかく、南蛮首領のひとり)を7度捉り7度放す』がその時の有名な物語ですね。勝利で収まった諸葛孔明率いる蜀の軍が、南征から帰途に着き、濾水(ろすい、長江支流の一つ)を渡ろうとした際、突然強風が吹き川に荒波が立て進路が阻まれました。すると、同行の孟獲が慌てて叫けび出しました!「川の神様が怒っているんだ!早く49人の頭を生贄に供えて鎮めよう!」 あまりにも野蛮で残忍な風習なので、諸葛孔明がこのような解決案を出しました。「牛や豚の肉を細かく切り、練った小麦粉で人の頭のような形に包み、蒸してから本当の人の頭の代わりに供えよう!」
この蒸したモノは「蛮頭」(蛮人の頭の意味、中国語の発音が「まんとう」)と名付けられ、後に同じ発音の「饅頭」(中国語の発音が「まんとう」)に変わりました。饅頭の作り方が簡単なため、世間に広がり一般庶民の家庭料理として定着したそうです。

<ひとこと> 現在の中国では、同じ漢字の「饅頭」は餡のない丸い蒸しパンのことを意味します。お肉や野菜が入っている蒸しパンは「包子」(バォーズ)と呼ばれています。

もう一つの焼きパンですが、「三顧の礼」の後、諸葛孔明が初めて指揮した「博望坡(はくぼうぱ)の火攻め」の時、まともに休憩時間が取れなく水も不足で困っているのを見て、諸葛孔明がこうアイディアを出しました。「兵士の盔(かぶと 鉄製)を鍋の代わりにし、粉をわずかの水で練り伸ばし、盔に入れて焼けば時短で作れるし食事も早く済ませる。」
この方法で作った焼きパンは「鍋盔」(グォークィー)と呼ばれ、手間暇かけずに作れるし、持ち運びやすく保存期間も長いので、行軍中のとっておきの食べ物となりました。更に、大きく厚く焼いたものは盾としても活用されていたとか。
簡単便利な「鍋盔」は、後に多くの地域で「焼餅」(ショービン 焼きパンの意味)と呼ばれるようになり、特に水の少ない乾燥地域に暮らす人々の主食の一つにもなりました。

現在、陝西省と甘粛省の一部では、重さ約5キロ、厚さ約10cm、直径40㎝もする超巨大バージョンの「鍋盔」を今も作り続けており、その地方の名物にもなっています。
ちなみに、蜀の都だった四川省の成都では、大小問わずの焼きパンのことを今も「鍋盔」と呼んでいます。この食べ物一つの名前から、1800年以上の歳月が経っていても、成都の人々は、この食べ物を発明し蜀に一生を尽くした諸葛孔明への愛、そして蜀の都だった誇りを、今も持ち続けていることが窺えますね。

画像: 「庶民派」の諸葛孔明 ~あの〇〇がこの時代に生まれた~

グルメ好きの曹操親子 ~あの〇〇、俺たちも大好きだ~

最後に、魏の基礎を作った曹操、魏を建国した曹丕の「食」に関する話を少しだけいたします。

ずる賢く、一生中国統一の夢実現に奔走していたと書かれている曹操は、『四時食制』という本も著作しています。魚の種類、生息地、どの時期、どの部位、どのような調理法が適しているのかについて詳しく紹介してあり、中国初めての美食本とされています。

曹操は、水が豊かな今の安徽省(あんきしょう)毫州(ぼくしゅう)の出身で大の魚好きと言われています。一説では、曹操が呉と戦う本当の目的は、長江中下流域の豊富な魚介類が目当てだったとか。無理やり感は否めませんが、もし少しでも彼にその下心があるならば、「赤壁の戦いの敗北は、つまり、長江の美味しい魚を失った」のと同じで、ひょっとしたら、曹操の頭に一瞬その悔しい思いが過ったかもしれませんね(笑)。

グルメ好きのDNAは曹操の息子の曹丕にもちゃんと引き継がれています。今日本でも人気の火鍋は実は曹丕の好物でもあります。ただ、曹丕が好んで食べるだけでなく、一度でいかにより多くの味を楽しめられるよう鋭意工夫し、一つの鍋に区切りを入れた形の火鍋(右イラスト)を発明したと言われています。
魚好きの曹操が本を書き、同じく美食を追求する曹丕は、親父に負けず火鍋の改良までしましたね。

画像5: え~?これも三国志?! 
  <第2回>『美味しい三国志』
【好奇心で旅する海外】<歴史の時間>

三国時代の食習慣、三国志の物語、そして三国志人物が発明した食べ物などをご紹介させていただきました。このブログを読んでいただき、乱世とは言え、三国志の英雄たちは軍事や政治に長ける一面だけでなく、グルメ好き、グルメ・メーカーだった一面も知れば、より深く三国志を楽しめるのではないでしょうか。皆様も、コンビニやスーパーで肉まんを見たら、三国志を思い出して歴史のロマンを感じれば幸いでございます。
次回は「お酒が作った三国志」です
12月13日のをぜひお楽しみください。

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