埼玉が生んだ実業家・渋沢栄一
近代日本経済の父と言われる実業家・渋沢栄一は、埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれました。7歳の頃、従兄の尾高惇忠の下で「論語」をはじめとする学問を学びました。23歳の時に尊王攘夷の思想に影響され、従兄らと高崎城乗っ取り計画など企てるも断念、24歳の頃から後の徳川慶喜に仕え、27歳の頃にパリ万博使節団の一員としてフランスへ渡り、交通機関・金融制度・通信制度など、欧州の実情を知ります。
明治維新となり欧州から帰国した時には、日本は明治時代を迎えていました。帰国後は静岡にて日本初となる株式会社を立ち上げたのち、明治政府に仕えていましたが、33歳の時に大蔵省を辞め、第一国立銀行頭取となります。その後も45歳で日本郵船会社を創立するなど、1931年に91歳で亡くなるまでに約500もの企業の設立に関わったと言われています。
2024年に20年ぶりに刷新されることになった紙幣では、千円札に北里柴三郎、五千円札に津田梅子、そして一万円札の顔に渋沢栄一がなることが決まっており、一万円札が刷新されるのは40年ぶりとなります。
渋沢栄一の故郷・深谷のおすすめ観光地
- 渋沢栄一記念館
渋沢栄一ゆかりの資料や写真などが展示されており、渋沢栄一について学ぶことができます。
(※8月13日現在、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、事前予約制となっています)
- 旧渋沢邸宅「中の家」
「中の家」は渋沢栄一生誕の地に建っており、栄一の妹夫妻が1985年に上棟したもので、栄一は晩年に幾度も訪れていました。1983年からは「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校施設となり、多くの外国人留学生が学びました。
- 誠之堂
栄一の喜寿を記念して建築された煉瓦造りの洋館で、1997年に深谷へ移築されました。
- 清風亭
栄一に続き、第一銀行頭取となった佐々木勇之助の古希を祝し建てられた洋館で、移築復元されたものです。
- 深谷駅
東京駅の赤レンガ駅舎をモチーフにしたデザインで、「ミニ東京駅」として親しまれています。これは、東京駅の駅舎が日本煉瓦製造株式会社製の煉瓦を使ったことにちなんでいます。日本煉瓦製造工場から深谷駅まで専用路線が通っておりました。
- 日本煉瓦製造株式会社旧事務所
栄一が唯一故郷に建てた工場で、東京駅など明治の名建築に欠かせない煉瓦の製造を担いました。
楽ちんに巡るのはいかがですか?
さて、おすすめの観光地をご紹介しましたが、実際に個人で巡るとなると問題なのは交通手段ですよね?車の置き場だったり電車やバスなど調べるのが大変だし面倒・・・。
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