いよいよ改元の年。「平成」も残すところあとわずかとなりました。
日本初の世界遺産登録(法隆寺地域の仏教建造物・姫路城・屋久島・白神山地)が平成5年12月であり、日本人が世界遺産に興味を抱いた歩みは、まさに平成と共にありました。
旅の文化研究所研究員、一般社団法人日本旅行作家協会会員の黒田尚嗣(くろだなおつぐ)が「歴旅の演出家、旅する世界遺産の語り部」として、世界遺産を訪ねる旅の楽しみ方について熱く語ります。
画像: 黒田尚嗣(くろだなおつぐ) 慶應義塾大学経済学部卒。現在、クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問として旅の文化カレッジ「世界遺産講座」を担当し、テーマ旅行の企画をしながら「歴旅の演出家、旅する世界遺産の語り部」として旅について熱く語る。近畿日本ツーリスト時代より海外旅行の企画に携わり、世界各地の文化遺産や自然遺産を多数訪れている。旅の文化研究所研究員、一般社団法人日本旅行作家協会会員 「目からウロコのヨーロッパ歴史講座」担当 著作:平成芭蕉のテーマ旅『奥の深い細道

黒田尚嗣(くろだなおつぐ)
慶應義塾大学経済学部卒。現在、クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問として旅の文化カレッジ「世界遺産講座」を担当し、テーマ旅行の企画をしながら「歴旅の演出家、旅する世界遺産の語り部」として旅について熱く語る。近畿日本ツーリスト時代より海外旅行の企画に携わり、世界各地の文化遺産や自然遺産を多数訪れている。旅の文化研究所研究員、一般社団法人日本旅行作家協会会員
「目からウロコのヨーロッパ歴史講座」担当
著作:平成芭蕉のテーマ旅『奥の深い細道

世界遺産を訪ねる『奥の深い細道』

成田空港が開港するまでは、海外旅行に出かける人はまだまだ限られており、海外の旅情報も今日と比べるとわずかでした。
しかし。現在ではおびただしい人が海外に出て、多くの情報をもとに地球上を闊歩しています。

画像: 世界遺産を訪ねる『奥の深い細道』

これらの旅体験は途方もなく巨大な文化的集積ですが、それが地球文明の未来にどのような影響を与えるのかと考えた時、その指針となるのが世界遺産かと思います。

「旅人は、自分の持っている以上のものは持ち帰れない」
と言われており、事前の予備知識もなく、しかるべき観察テーマを持たずに旅に出ても、気付きや発見は少ないのではないでしょうか。

旅を終えてから、訪れた都市の紹介番組などを見ると、無為無策の旅では得るものも少なく、もったいなかったと感じるでしょう。

そこで、世界遺産を訪ねる旅に出かける前には最低限、その訪問国に対する「知恵」を身に付けてから出かけていただきたいと考え、本記事を執筆しました。
すなわち、「世界遺産の旅+知恵=人生のときめき」をコンセプトとした『奥の深い細道』世界遺産めぐりの旅です。

画像: 世界遺産第一号のひとつ エクアドル・キトの市街(文化遺産)

世界遺産第一号のひとつ エクアドル・キトの市街(文化遺産)

私の敬愛する松尾芭蕉は『奥の細道』執筆に際して、推敲に推敲を重ねています。そこで「平成芭蕉」を名乗る私も著作:平成芭蕉のテーマ旅『奥の深い細道』では、芭蕉さん同様に推敲を重ねて、「みちのく」だけでなく海外についても「共感」をテーマに書きました。

そしてこのクラブツーリズムの「クラブログ」では、さらにイメージ写真を使って、ヴァーチャルな「学び旅」を体験していただきたいと思います。

世界遺産をめぐる旅は、私にとってエンドレスの映画鑑賞です。
平成も残すところわずかとなりましたが、時代の流れと共に人や都市は絶え間なく変化し、スピードに違いはありますが、その変化はとどまることはありません。
だから、旅は飽きることなく、入学があっても卒業はないのです。

この記事でご紹介する内容は、世界遺産の旅情報というよりも、私が現地を訪ねた際の実体験に基づくレビューです。

単なる旅情報は日々更新され、それらの多くは検索すれば得られるものです。

しかし、旅情報が少なかった時に、多少は事前勉強をしていた私が、現地の人と触れ合って得た感動や実地体験から学んだことをお伝えすることは、私にとっても意義のあることです。
なぜなら、私の旅は「どこへ」ではなく、「誰に会い、誰から学ぶ」をテーマにしているからです。

人生100年時代に同じ旅を愛する者として、「世界遺産」を学びながら共感する体験を共有していただければ幸いです。

アーノルド・トインビー博士の名言

私はこれまで世界各地を訪ね多くの人と交流すると同時に、訪日観光客を迎えるインバウンド事業にも携わってきましたが、私自身、日本人でありながら日本の歴史文化に対する知識が不十分であったり、相手国の文化的背景を知らなかったために、誤解を招くことが多々ありました。

画像: 訪日観光客も日本の寺社を多く参拝するようになりました

訪日観光客も日本の寺社を多く参拝するようになりました

20世紀の偉大な歴史学者アーノルド・ジョセフ・トインビー博士は
「人間とは歴史に学ばない生き物である」
と名言を残していますが、私も誤解や争いの原因の多くは、この歴史を学ばないことだと思います。

そこで、私は日本という国を正しく理解し、海外旅行では買い物以外の「心の土産」を持ち帰るための知恵を身につけることによって、「日本人としての心のプライド回復と真の国際人を目指すべきである」と切に感じます。

そして、日本という国を正しく理解した上で世界遺産を通じ、その国の文化を学ぶべきだと思います。

私が所属する日本旅行作家協会の名誉会長で、先日亡くなられた「世界の旅」で有名な兼高かおるさんも、
「外国を知って日本も知る、日本を知って外国を知る、
そういう両方を知っていくのが国際化なのです」
とおっしゃっておられました。

そして、この両方を知る旅こそ、従来の国内旅行や海外旅行を越えた歴史を中心とする「テーマ旅行」なのです。

「世界遺産」とは

世界遺産とは地球の成り立ちと人類の歴史によって生み出された全人類が共有すべき宝物で、その内容によって①文化遺産②自然遺産③複合遺産に分類されます。

画像: 日本の世界文化遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」(平成7年に認定)

日本の世界文化遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」(平成7年に認定)

画像: 日本の世界自然遺産「屋久島」(平成5年に認定)

日本の世界自然遺産「屋久島」(平成5年に認定)

画像: マリの世界複合遺産「バンディアガラの断崖(ドゴン人の地)」(平成元年に認定)

マリの世界複合遺産「バンディアガラの断崖(ドゴン人の地)」(平成元年に認定)

この記事はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。

「人生は出会いの歴史」であり、旅はその出会いを劇的に演出してくれます。

私の旅行人生を振り返ると、人類共通の宝物である世界遺産との出会いも印象的でしたが、それ以上に訪問地で出会った人達との交流がステキな思い出として心に残っています。

画像: グアテマラにて

グアテマラにて

そこで、この記事では現地の人から私が直接聞いた話をもとに、その世界遺産が登録されるに至った歴史的背景や真に守るべき大切なものは何かについてもご紹介します。

平成元年(1989年)認定
ザンビア・ジンバブエの世界遺産「ヴィクトリアの滝」

探検家リヴィングストンが讃えた「ヴィクトリアの滝」

世界三大瀑布のひとつ「ヴィクトリアの滝」

ヴィクトリアの滝は南アメリカのブラジルとアルゼンチンにまたがるイグアスの滝、北アメリカのアメリカとカナダにまたがるナイアガラの滝と共に世界三大瀑布と呼ばれています。

ヴィクトリアの滝はアフリカのザンビア共和国とジンバブエ共和国との国境にあり、三大瀑布はいずれも2国間にまたがっていることが特徴で、国境の役割も果たしています。

この滝は英国人探検家リヴィングストンが1850年代に発見し、当時のイギリス女王の名をとって「ヴィクトリアの滝」と命名しました。

かれはこの滝を見て大いに感銘を受け、「イギリスのいかなる物からも、この美しさを想像することはできません。ヨーロッパの人々がかつて目にしたことのないものです。しかし、飛んでいる天使たちの目にはこのすばらしい光景が見えていたに違いありません」と記しています。

画像: ヴィクトリアの滝に架かる虹

ヴィクトリアの滝に架かる虹

歴史を感じさせるThe Victoria Falls Hotel

観光の拠点となる町は、ザンビアのリヴィングストン市とジンバブエのヴィクトリアフォールズ市ですが、私はより滝に近いヴィクトリアフォールズ市のThe Victoria Falls Hotelに宿泊しました。

このホテルは歴史を感じさせるクラシックなコロニアル風の建て物で、廊下にはヴィクトリア女王の写真をはじめ、当時の写真が多く展示され、19世紀にタイムスリップした気分が味わえます。

また、ホテルの庭は広く、正面には国境の橋とヴィクトリアの滝の水煙も見られます。滝の見学の際は、水煙を見るというよりも、滝の噴煙である水しぶき(マイナスイオン)を浴びる感覚で、周囲の熱帯雨林の中での森林浴とイオン浴を同時に満喫できます。

野生動物の宝庫「チョベ国立公園」

また、ゆとりがあれば滝の上流のチョベ川沿いにあるチョベ国立公園に足をのばすのもお勧めです。
ここは、アフリカ大陸の中でも野生動物が多く生息している地域で珍しいウィルドドッグに遭遇することもあり、特に夕日の美しさは最高です。

画像: チョベ国立公園の夕日

チョベ国立公園の夕日

平成2年(1990年)認定
マダガスカルの世界遺産「ツィンギ・デ・ベマラハ」

バオバブが群生する不思議な島の世界遺産

旅の健康五浴とマダガスカル自然遺産

私は自然が大好きで夏になると暇を見つけては海や山に出かけ、帰りに温泉に立ち寄り、旅の健康五浴(日光浴、森林浴、海水浴、温泉浴、イオン浴)を実践しています。

しかし、これが旅となれば、やはりある種の刺激や見るべきものがあったほうが印象に残ります。
そこで私が最も生きる力を感じた生命体バオバブが群生する不思議な島「マダガスカル」の世界遺産をご紹介します。

マダガスカルはドリームワークスの映画アニメ『マダガスカル』で有名になりましたが、アフリカではなくモザンビーク海峡をはさんだインド洋上に浮かぶ島国です。

バオバブで知られるマダガスカル島

そのマダガスカル島は日本の約1.6倍で、グリーンランド、ニューギニア、カリマンタンに次ぐ世界で4番目に大きい島です。
1億年以上も昔にアフリカ大陸と分離したと考えられ、島に棲息する動植物の3分の2が固有種です。
植物ではサン・テグジュペリの『星の王子さま』に登場するバオバブ、動物では横っ飛びが特徴的なシファカやキツネザルが有名です。

そのバオバブは植物分類上「木」ではなく、「草」ですが、樹齢は500年以上と言われ、死者の魂が戻る場所と考えられているためか生命力を感じます。

画像: バオバブ並木と夕日

バオバブ並木と夕日

マダガスカルの世界遺産「ツィンギ・デ・ベマラハ国立公園」

世界遺産としては、バオバブ並木で知られるムルンダヴァの北約200㎞に位置し、無数に切り立った細い石灰岩の尖塔が針山のように空に向かってそそり立つ、神秘的な「ツィンギ・デ・ベマラハ国立公園」があります。

雨が降っても岩の亀裂や溝に流れるため、乾燥に強い珍しい植物が多く、周囲の原生林にはシファカキツネザルも生息しています。

また、公園の南側には、マナンブル川が流れており、そのをカヌーで石灰岩の峡谷を抜けて鍾乳洞を鑑賞するのですが、昔はこの付近に多くのワニが生息していました。
そこでこの地には「ワニは去った、しかしまたワニが来た」という諺があり、「一難去ってまた一難」という意味だそうです。

画像: キツネザル

キツネザル

文化遺産は大きく変わりませんが、自然遺産の中で生きる生命体は日々変化して表情を変えるため、毎回違った感動を覚えます。

平成3年(1991年)認定
フランスの世界遺産「パリのセーヌ河岸」

ナポレオンの遺言で知られる「パリのセーヌ河岸」

2012年5月15日のパリにおけるフランス大統領の交代式では、エトワールの凱旋門に大きなフランス国旗が掲げられ、かの皇帝ナポレオンが行進してきそうな雰囲気でした。

そのナポレオン・ボナパルトは「余は、余がかくも愛したフランスの国民に囲まれ、セーヌ河のほとりに眠りたい」という遺言を残しています。

画像: エトワールの凱旋門に翻るフランス国旗

エトワールの凱旋門に翻るフランス国旗

パリの発祥地とセーヌ河岸

世界遺産に登録された「パリのセーヌ河岸」は、正確にはセーヌ河のシュリー橋からイエナ橋までの約8㎞で、この中にはセーヌ右岸・左岸に加えてパリの発祥地であるシテ島やサン・ルイ島も含まれます。

セーヌ右岸にはルーブル美術館やシャンゼリゼ通り、セーヌ左岸にはエッフェル塔やオルセー美術館、シテ島にはステンドグラスで有名なサント・シャペルやゴシック建築の最高傑作ノートルダム大聖堂があります。

画像: セーヌ河 カルーゼル橋とシテ島

セーヌ河 カルーゼル橋とシテ島

テーマのあるパリ観光

観光目的でパリを訪問する場合、パリの見所があまりに多く、また内容も充実しているため、表面的な観光になりやすいので、見学のテーマを設けることをお勧めします。

例えば皇帝ナポレオンゆかりの地というテーマを設け、彼の墓所であるアンヴァリッドを訪ねながら、フランス史におけるナポレオンの果たした役割を考えるのです。

ナポレオン自身もルーブル宮を改築したり、マドレーヌ寺院を建てたりしましたが、彼の甥であるルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)もジョルジュ・オスマンをセーヌ県知事に任命し、今日のパリ市街の原型を作らせ、フランスの近代化に貢献しているのです。

世界遺産を楽しむコツ

世界遺産を楽しむコツは、その地に滞在して時の流れを感じると共に、日本の文化と対比しつつ「歴史の何故」を追求し、現地の人とのコミュニケーションを図ることです。

最近はバスの乗り入れ規制もあり、団体ではノートルダム大聖堂に足を運ぶ機会も少ないようですが、パリジャンの誇りである「我らが貴婦人」聖母マリアを訪ねないでパリを去るのは、ここで戴冠式を行ったナポレオン皇帝に対しても失礼です。

画像: ノートルダム大聖堂 バラ窓のステンドグラス

ノートルダム大聖堂 バラ窓のステンドグラス

この大聖堂内で行われるコンサートなど、様々な催し物に参加して現地の人との交流を図り、生きた文化に触れてこそセーヌ河岸の世界遺産の意義が理解できると思います。

平成4年(1992年)認定
カンボジアの世界遺産「アンコール遺跡」

クメール建築の最高傑作アンコール・ワット

アジアの三大仏教遺跡の一つ「アンコール遺跡」

既視感(デジャヴュ)という言葉があります。一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したように感じることです。
私はアジアを旅行していると時々このデジャヴュに遭遇します。

静かで不思議な感動を伝える信仰や土着民族の風習、懐かしいと感じる風景など、五感に新鮮な驚きが溢れ、肌ににじんだ汗が地元の空気に馴染む頃、このデジャヴュがやってきます。

とりわけ、インドネシアのボロブドゥール、ミャンマーのバガンと並ぶアジアの三大仏教遺跡の一つ、カンボジアのアンコール遺跡を訪れた際には強く感じました。

この感動は私たち日本人が忘れていたものか、それとも持ったことがないものなのかどうかはわかりませんが、アジアに生きる自分を実感できるのです。

画像: アンコール・ワット

アンコール・ワット

クメール王朝の繁栄を物語るカンボジア人の誇り

このアンコール遺跡は、一般的にはアンコール・ワット(寺院都市)の名前で知られていますが、これはカンボジア王国シェムリアップ州にあるアンコール・トムなどの大小複数の遺跡の一部です。

アンコール・トムクメール王朝最盛期の12世紀末から13世紀初めにかけてジャヤヴァルマン7世が築いた城郭都市で、その中心はバイヨン寺院です。

寺院の尖塔には王が最も崇拝した観世音菩薩の四面像が刻まれており、四方八方からこの「クメールの微笑」に囲まれると壮観で、気持ちも安らぎ、信心深い気持ちにさせられます。
まさにクメール王朝の繁栄を今に伝えるカンボジア人の誇りの象徴です。

画像: アンコール・トム クメールの微笑

アンコール・トム クメールの微笑

アンコール・ワットの回廊の施されたヒンドゥー神話のレリーフ

アンコール・ワットスールヤヴァルマン2世の治下、1113年から約30年かけて建立されたヒンドゥー教寺院で、王はこの寺院に王権の神格とクメール(カンボジア)文化独自の宇宙観を表現しました。
すなわち高さ60mの中央塔の周りに4基の塔を配した祠堂は世界の中心の須弥山(しゅみせん)、周囲は雄大なヒマラヤの霊峰、環濠は深く無限の大洋を象徴しています。
回廊には豪華絢爛で精緻なレリーフが施され、特に第2回廊に描かれたヒンドゥー神話の天地創造に関する「乳海攪拌」図は必見です。

画像: 乳海攪拌のレリーフ

乳海攪拌のレリーフ

アンコール遺跡で朝日と夕日鑑賞

また、このアンコール・ワットは西を向いて建っているので、朝日鑑賞の際に太陽に照らされ、シルエットとなって浮かび上がる姿も格別です。

しかし、私のお薦めは王都の中心、須弥山を表現したとされるプノン・バケンからの日没風景です。
夕陽に染められていく素晴らしい景色を眺めていると、自然の偉大さを感じると同時にデジャヴュに遭遇し、タイムスリップしてアンコール朝に戻ったような疑似体験が味わえます。

画像: プノン・バケンからの日没

プノン・バケンからの日没

平成5年(1993年)認定
日本の世界遺産「法隆寺地域の仏教建築物」

この記事では、平成10年(1998年)認定の「古都奈良の文化財」と併せてご紹介します。

神道や仏教など日本文化の原点、飛鳥・奈良の世界遺産

「古都奈良の文化財」は神仏習合の世界遺産

私は世界遺産の記事を数多く書いてきましたが、海外の世界遺産を知れば、やはり、日本の代表的な文化遺産でもある日本の世界遺産についても正しく知る必要があると痛感します。

すなわち、母国の日本を知らずしてグローバルな視点で世界は語れないので、国際交流のためには、まずはお互いの国の文化を知るのが第一歩だと思います。

そこで、ここでは日本のこころが生き長らえている奈良と飛鳥の世界遺産をご紹介します。

奈良県の世界遺産には①紀伊山地の霊場と参詣道 ②法隆寺地域の仏教建造物 ③古都奈良の文化財の3つがありますが、それぞれのテーマを簡潔に表せば①は神道・修験道、②は仏教、③は神仏習合と言えます。

奈良に都が置かれたのは710年で、それから1300年以上の時が流れていますが、今日の日本の社会すなわち日本文化の基礎はやはり奈良時代の平城京に起源があると思われます。
すなわち明治政府によって1868年に神仏分離令が出され、一時は廃仏毀釈運動も起こりましたが、現代社会は最終的には神仏習合的な奈良時代の延長線上に戻っています。

画像: 春日大社

春日大社

平城宮と東大寺の大仏

実際に世界遺産「古都奈良の文化財」は、国宝建造物を有する東大寺・興福寺・薬師寺・唐招提寺・元興寺・春日大社の6つと特別史跡である平城宮跡、そして特別天然記念物に指定されている春日山原始林の8つの資産が個別に評価されたのではなく、全体がひとつの文化遺産として評価されたのです。

平城京はシルクロードの終着点でもあったことから、国際的な都市でした。

しかし、当時、権力を握っていた藤原不比等ゆかりの興福寺が、その天皇家の平城宮を見下ろす位置にあったことを知れば、これら構成遺産のつながりを理解することができます。

画像: 平城宮跡

平城宮跡

すなわち、春日大社は藤原氏の祖である中臣氏の氏神を祀っていたことから神仏習合で藤原氏の氏寺である興福寺と結びつき、この藤原勢力に対抗するために聖武天皇行基率いる優婆塞(朝廷の許可を得ていない僧)と協力して春日山の麓に東大寺を建立したと推定できるのです。

当時の仏教は「大仏建立の詔」にもある通り、国家の鎮護・安寧を願った国策仏教でしたが、疫病が流行ったこともあり、鑑真(唐招提寺を建立)を招聘した長屋王など滅ぼされた人たちの祟りという考えも大いに影響していました。

そこで、これらの祟りを鎮める目的からも称徳天皇(聖武天皇の子)は大寺に行幸し、仏教重視の政策を進める一方で、伊勢神宮や宇佐八幡宮内に神宮寺を建立するなど神仏習合を進めたのだと思います。

画像: 東大寺の大仏

東大寺の大仏

法隆寺の五重塔の意義

一方、一般的な寺社参拝ツアーでは本堂のご本尊参拝が目的ですが、仏教を開いた釈尊の遺骨(仏舎利)仏塔に奉安されているので、本来、仏教寺院において最も重要な建物は本堂や金堂ではなくなのです。

日本で最初に世界文化遺産に指定された、イカルという鳥の名が由来の斑鳩に立つ法隆寺は、聖徳太子ゆかりの寺院で現存する世界最古の木造建築ですが、その建造物群の中でも重要なものはやはり、その西院伽藍の中心に位置する五重塔です。

一層目に裳階(もこし)が付随し、二層、三層と上に行くに従い、柱間が狭く、屋根も程よい比率で小さくなっているため、相輪と一体となって全体がきれいな二等辺三角形を成し、美しさと安定感では数ある日本の五重塔の中でも一番です。

なお、この塔の初層の内陣には、仏教の経典に書かれている世界が塑像で表現されており、特に北面の「涅槃像土」は有名です。

この五重塔に隣接する美しい金堂には、法隆寺の本尊、すなわち「中の間」に聖徳太子のための釈迦三尊像、「東の間」に父・用明天皇のための薬師如来坐像、「西の間」には母・穴穂部間人皇后のための阿弥陀如来坐像が安置されています。

画像: 法隆寺

法隆寺

また、法隆寺北東の岡本地区に位置する法起寺三重塔も法隆寺とともに日本で最初に世界文化遺産に登録されたわが国最古の三重塔です。

法起寺はかつて「ほっきじ」と呼んでいましたが、世界遺産に登録される際、「法」の読み方を統一する必要から当時の高田良信法隆寺管長が「ほうきじ」を正式名称としました。

画像: 法起寺

法起寺

平成6年(1994年)認定
ルクセンブルクの世界遺産「古い街並みと要塞群」

「北のジブラルタル」ルクセンブルク

渓谷の断崖城壁に囲まれたルクセンブルク

ベルギーBelgiumネーデルランドNetherlands(オランダ)、ルクセンブルクLuxembourg
の3国の頭文字をつないだベネルクスとは、本来この3国間の関税同盟協定を指す言葉でした。

1944年に調印されたこの協定は1983年以降、3国間の貿易手続きや出入国手続きの簡素化を実施し、現在の欧州連合(EU)の基礎となったのです。

この3国の中で鎖国時代に通商のあったオランダ(ネーデルランド)やベルギーは日本に馴染みがありますが、今回はあまり知られていないルクセンブルクについてお話しします。

この国は正確にはルクセンブルク大公国と呼ばれ、ドイツ・ベルギー・フランスに隣接した深い渓谷と緑の森に覆われた小さな国です。

首都ルクセンブルク市は、渓谷の断崖城壁に囲まれた要塞都市で、街全体が世界文化遺産に指定されており、その景観は訪れた者を圧倒する荘厳な美しさです。

また、旧市街と下町を結ぶアドルフ橋から憲法広場まで散策すれば、中世の絵画を見ているようで甲冑を身につけた騎士が現われそうな街です。

画像: アドルフ橋

アドルフ橋

「北のジブラルタル」の象徴ボック断崖

特にボックと呼ばれる断崖からの眺めは壮観で、「北のジブラルタル」の異名をもつ堅固な砦であることが認識できます。

眼下に広がる深い緑の森の中には3つのドングリと呼ばれる塔があり、このあたりにルクセンブルクの起源となった領主ジーグフロイト伯が築いた城の城壁があったと言われていますが、現在は跡形もありません。

しかし、この断崖の下には「ボックの砲台」と呼ばれる18世紀にオーストリアの兵士によって造られた地下要塞が残っています。

画像: ボックの砲台

ボックの砲台

「ヨーロッパの宝箱」と呼ばれる金融王国

かつてこの国の主要産業は鉄鋼業でしたが、鉄鋼不振となってからは、西欧のほぼ中心に位置する地の利を生かして欧州の金融王国となるべく努力し、今ではロンドンに次いでユーロ市場第二の金融センターの地位を築きました。

これは閉鎖的だったこの国が、労働力としてポルトガルをはじめとするヨーロッパ各国からの移民を受け入れ、欧州諸国とのビジネスをスムーズに展開させたことが要因とされています。

ヨーロッパ諸国からの移民が多くなれば、それぞれのお国自慢の料理を提供するレストランやカフェも増えて、ルクセンブルクはグルメ大国にもなりました。

小国ながら豊かでインターナショナルなルクセンブルクは、まさに「ヨーロッパの宝箱」で、我々日本人が学ぶべきことが多い国かと思われます。

画像: ルクセンブルグの街並

ルクセンブルグの街並

平成8年(1996年)登録
オーストリアの世界遺産「ザルツブルク市街の歴史地区」

夏の音楽祭で有名なザルツブルク

モーツァルトの生誕地であり、名指揮者カラヤンの故郷

赤坂のサントリーホール前の広場は「アーク・カラヤン広場」と呼ばれ、ホール設計時にアドバイスを与えた往年の名指揮者、故ヘルベルト・フォン・カラヤンの名を冠しています。
そこでここではそのカラヤンの故郷であり、モーツァルトの出生地としても名高いザルツブルクの世界遺産をご紹介します。

ザルツブルクと言えば、毎年夏に開かれる音楽祭が有名ですが、これはモーツァルトを記念して開かれるようになったもので、ウィーン・フィルを始め、世界に名だたるオーケストラや歌劇団、指揮者等が集い、世界でも注目を浴びる音楽祭の一つです。

1956年に音楽祭芸術監督に就任したカラヤンは、音楽祭の諸改革や新機軸を次々に打ち出し、祝祭大劇場の建築も主導しました。

画像: ザルツブルグの街並

ザルツブルグの街並

映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台

この祝祭大劇場はかの「サウンド・オブ・ミュージック」の最期のクライマックスで登場して有名となりました。
すなわちトラップファミリーがコンテストで歌う名場面ですが、消え行くオーストリアを偲び、ナチスに抵抗する歌「エーデルワイス」は心に残る名曲かと思います。

また、ザルツブルクは「塩の城」という呼称からも推察できますが、紀元前より岩塩の交易によって栄えてきた街です。

しかし9世紀に司教座が置かれてからは司教都市となり、13世紀後半には大司教の支配する一侯国となりました。

その象徴がメンヒスベルク山に聳えるホーエンザルツブルク城で、「サウンド・オブ・ミュージック」で子供たちが「ドレミの歌」を歌うシーンで登場します。

15世紀までは大司教の住居、それ以後は牢獄または兵舎として利用されましたが、外敵に占領されたことは一度もなく、ヨーロッパ中世の城としては完璧に保存された貴重な遺産の一つです。

画像: ホーエンザルツブルク城

ホーエンザルツブルク城

モーツァルトが生まれた街

音楽の神童ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが生まれた家は、ゲトライデ通り9番地にありますが、彼は21歳でザルツブルクでの宮廷作曲家の職を辞してこの地を去っています。
その理由は当時の「大司教の街」には音楽をたしなむ有力者が少なかったからだと言われています。

しかし、今や世界中の音楽ファンがここザルツブルクに集い、その音楽祭で彼の曲を聴くと「モーツァルトが戻って来た」ように感じます。

私はザルツブルクの本当の世界遺産は、大司教の残した建造物ではなく、モーツァルトの残した永遠不滅の音楽だと思います。

画像: 平成8年(1996年)登録 オーストリアの世界遺産「ザルツブルク市街の歴史地区」

平成9年(1997年)登録
イタリアの世界遺産「アマルフィ海岸」

イタリア屈指のリゾート地アマルフィ

かつては海洋都市国家として栄えたアマルフィ

海鮮料理のイタリアンレストランでは、緑・白・赤のイタリア国旗に加えて、イタリア海軍の徽章を配したイタリア軍艦旗が飾られていることがあります。

この軍艦旗の中央にある徽章の盾は4分割され、それぞれかつて制海権を握って繁栄したイタリアの4つの海洋共和国、ヴェネツィア、ジェノヴァ、アマルフィ、ピサを象徴しています。

今回はこの4大海洋都市国家の中でも最古のアマルフィについてご紹介します。

南イタリアを代表する観光地にして「世界一美しい海岸」と呼ばれるアマルフィは、ナポリの東南に位置して、周囲を断崖絶壁の海岸に囲まれ、小湾の奥の港から、断崖上に向かって形成された街で、日本では織田裕二さん主演の映画「アマルフィ 女神の報酬」で有名になりました。

街の背後の丘にはレモンやオレンジの畑が広がり、海岸の広場から続く広い階段を見上げるとその先には町の象徴であるドゥオーモの金色に輝くファサードが、かつての海洋国家の威厳を示しています。

画像: イタリア軍艦旗

イタリア軍艦旗

「アマルフィ海法」を作成し、地中海の覇権を争う

このドゥオーモ(大聖堂)は11世紀に建造が始まり、中央のコンスタンティノープルで鋳造されたブロンズ製扉や13世紀の美しい「天国の回廊(キオストロ・デル・パラディーソ)」など特徴的な追加工事が継続して行われました。

狭い土地を有効活用するべく、アーチの上に家を建て、上へ上へと建て増しし、断崖にへばりつくように建物が密集しています。

土地に恵まれなかったため、人々は大海原に出て、「アマルフィ海法」という航海の法典を作成して、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアと地中海の覇権を争い、最盛期には黒海にも商業活動を広げていました。

画像: ドゥオーモとアマルフィの街並

ドゥオーモとアマルフィの街並

海洋国家として衰退するもイタリア屈指のリゾート地として復活

しかし、その商業発展も長くは続かず、ノルマン人やピサ人の侵略を受け、1343年の嵐によって都市の大部分が破壊されてしまいました。

その後も地震と津波で砂浜は侵食し、広範囲の土地が海中に沈んでしまったため、かつての海洋国家の面影は薄れてしまっています。

しかし、今日ではその歴史と自然に彩られた美しい海岸が世界遺産に登録され、温暖な気候と美しい海岸風景で多くの人々を魅了し、イタリア屈指のリゾート地として人気を集めています。

私はこのアマルフィ海岸のことを考えれば、同様に地震と津波で被害を受けた三陸海岸が、早く元の風光明媚な姿を取り戻し、人気スポットとしてまた多くの人を魅了する日が来ることを祈念したいと思います。

画像: 風光明媚なリゾート地として人気の現在のアマルフィ

風光明媚なリゾート地として人気の現在のアマルフィ

平成13年(2001年)登録
スイスの世界遺産 「スイスアルプス ユングフラウ」

スイスアルプスの美しい景観

ヨーロッパの美しい自然の風景と言えば、スイスアルプスの山々、氷河、湖水を連想する人も多いと思いますが、その美しい景観は、氷河時代にヨーロッパを覆っていた広大な氷河による自然の造形美です。

画像: アレッチ氷河

アレッチ氷河

スイスアルプスの牧草地

スイスの世界遺産「スイスアルプス ユングフラウ-アレッチ」はユーラシア大陸で最も大きな氷河地帯で、ヨーロッパ最長の氷河、深さ900mの氷、9つの4000m級の山々など、最高級の自然景観です。

しかし、スイスのこの景観はここに住む人にとっては過酷な試練を課して来ました。

すなわちスイスアルプスの美しい風景は、豊かに広がる緑の牧草地をぬきには語れませんが、この牧草地は氷河によって削り取られた跡地で、表土が極めて浅く、畑作には適さないのです。

そのため、耕地を順番に牧草地とするべく山の斜面をならし、牧草として望ましい植物の種をまき、有害な植物を根気よく取り除く、農民たちの不断の手入れが必要でした。

画像: アルプスの牧草地

アルプスの牧草地

スイス人傭兵

また、長い冬の農閑期にはまともな農業ができない環境から、男は傭兵として出稼ぎに出るしかなく、ヨーロッパ各地の王や諸侯に傭兵として雇われ、同じスイス人同士で争い、血を流す歴史でした。

そして傭兵の中でもスイス兵は最後まで逃げずに戦いうという姿勢が評価され、カトリックの総本山バチカンの警備兵はカトリック信者のスイス人で構成されるようになりました。

スイス人を意味するSchweizerには「熟練乳搾り人」、「教皇の近衛兵」といった意味がありますが、これはスイスの美しい風景に隠された土地の人々の酪農と傭兵とういう背負わされた宿命があったからです。

画像: 美しい風景に隠されたスイス人の苦難の歴史もありました

美しい風景に隠されたスイス人の苦難の歴史もありました

五月祭とメーデー

5月にヨーロッパを旅行すると各地で美しく飾られたポールを目にします。
これは5月柱(メイポール、マイバウム)と呼ばれ、冬の寒さと暗さを追い、夏の暖かさと明るさを呼ぶ五月祭の柱です。

長かった冬から解放され、牧草が勢いよく伸び始め、輝かしい夏を迎えようとする喜びの日が5月1日であり、この五月柱と呼ばれる木のまわりで踊ったり、競技を催したのが今日のメーデーの始まりと言われています。

私は美しい自然遺産「スイスアルプス」も印象に残っていますが、五月祭でのスイス人の春の到来を喜ぶ姿が今も忘れられません。

平成16年(2004年)認定
日本の世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」

古より続く信仰の熊野古道

熊野古道と伊勢神宮

世界遺産の「紀伊山地の霊場と参詣道」は、三重県・奈良県・和歌山県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)を対象としていますが、熊野古道と言えば、
・紀伊路(渡辺津ー田辺)
・小辺路(高野山ー熊野三山、約70㎞)
・中辺路(田辺ー熊野三山)
・大辺路(田辺ー串本ー熊野三山、約120㎞)
・伊勢路(伊勢神宮ー熊野三山、約160㎞)
・大峯奥駈道(吉野ー熊野三山)
の6つの道を指します。

さる平成25年には、20年に一度行われる式年遷宮年で、お伊勢さんへ多くの人が参詣しました。

本来ならばこの伊勢の神宮およびこの神宮で行われる種々の行事こそ、日本を代表する世界遺産かと思いますが、神宮司庁は世界遺産の登録を辞退したと聞いています。

そこで、今回は伊勢神宮に続く熊野古道の「伊勢路」と神々が眠る日本最古の神社「花の窟神社」をご紹介します。

画像: 伊勢神宮

伊勢神宮

伊勢路は「伊勢へ七度、熊野へ三度」と呼ばれた信仰の道

花の窟(いわや)は、日本書紀に記される神々の母、イザナミノミコトの御陵であり、熊野三山の根源地として、わが国の信仰上、伊勢の神宮と共に非常に重要な神域でした。

そのため、熊野古道(伊勢路)は「伊勢へ七度、熊野へ三度」と呼ばれる信仰の道だったのです。

イザナミの埋葬地であり、古来「黄泉の国」と呼ばれた熊野は、平安時代に浄土信仰が広まった際に「現世の浄土」とされ、穢れを清め、新たな自分へと再生する「蘇(よみがえ)りの地」(黄泉から返る)と見なされました。

そこで、平安時代には法皇や公家が多数参詣し、江戸時代には伊勢のお陰参りと共に「蟻の熊野詣」で賑わいました。

画像: 熊野古道 中辺路の牛馬童子

熊野古道 中辺路の牛馬童子

自然崇拝と日本最古の神社「花の窟神社」

そもそも熊野信仰は、巨岩や滝などに神が宿るとする自然崇拝を起源としており、女人禁制だった高野山などとは異なり、熊野は男女を問わず、貴賎に関わらず、すべての参詣客を優しく受け入れてくれました。

熊野古道の両脇の木々は精気に満ち溢れ、たたずむ石仏は素朴で参詣客の心を和ませてくれました。

花の窟神社も社殿はなく、高さ約45mの窟がご神体であり、熊野三山や伊勢神宮成立前の太古の自然崇拝を漂わせています。

花の窟の謂(いわ)れは、季節の花々で神をお祀りし、古くから「花祭り」という珍しい祭礼を行っていたことに由来します。

画像: 花の窟神社

花の窟神社

健康五浴と熊野セラピーを体験

熊野は森林、河川、海、滝、温泉など自然のもつさまざまなエネルギーを享受できる霊場であり、私が提唱する五浴(日光浴・森林浴・海水浴・温泉浴・イオン浴)の旅にも最適です。

和歌山県でも今、世界遺産となった熊野を舞台に熊野地形療法(熊野セラピー)を提唱しています。

私たちの心の故郷である伊勢の神宮に参拝した後、熊野の精気に満ちた自然で心と体を癒す旅は日本人にとって究極の世界遺産を訪ねる旅かと思います。

画像: 熊野古道・大雲取越

熊野古道・大雲取越

平成17年(2005年)認定
ノルウェーの世界遺産「西ノルウェーフィヨルド群」

ノルウェー屈指の観光地‐ガイランゲルフィヨルド

氷河の浸食でできたU字谷フィヨルド

20代から30代にかけてVOLVOツアーで毎年訪れていた北欧を久々に巡ってきました。フィンランドのヘルシンキから豪華客船タリンク・シリヤラインでストックホルムまで航海、ストックホルムからは空路オーレスンを経由してガイランゲルに行き、フィヨルドを見下ろすホテルユニオンに連泊して世界遺産のフィヨルドを満喫してきました。

北欧と言えば夜空の天体ショーであるオーロラ観測サンタクロースに会いに行くツアーも人気ですが、やはり目玉は西ノルウェーのフィヨルド観光です。フィヨルドは「狭湾」とも呼ばれ、氷河の浸食によってできたU字谷が沈水して形成された地形で、切り立った断崖絶壁や無数の滝など荒々しくも美しい入江の景観です。

画像: ガイランゲルフィヨルド

ガイランゲルフィヨルド

ヴァイキングとフィヨルド

また、ヴァイキングVikingのvikは古ノルド語で入江・フィヨルドを意味することから、ヴァイキング時代にはこれらのフィヨルドは彼らの活躍の場でもありました。山がちの狭小なフィヨルド地区には平地は少なく、土地も貧しいので、その結果「ロングシップ」と呼ばれる細長い船で交易、移住、さらには海賊行為を行うようになったのでしょう。

しかし、フィヨルドの斜面に点在する放棄された農園Farmの存在を知れば、私はヴァイキングの生業は海賊行為による略奪経済ではなく、航海の主たる目的は交易であり、故地において彼らはあくまでも農民または漁民であったと思います。

画像: ヴァイキング船(イメージ)

ヴァイキング船(イメージ)

ノルウェー屈指の人気フィヨルド「ガイランゲル」

そこで今回は数あるフィヨルドの中でもネーロイフィヨルドと共に世界自然遺産登録されたガイランゲルフィヨルドをご紹介します。

「ガイランゲル」とは槍のとがった先という意味があるそうですが、ガイランゲルの博物館「ノルウェー・フィヨルドセンター」の外観はまさしくフィヨルド方向を指す槍の刃先のようです。実際、ガイランゲル村はヘレシルトからのクルーズでは終着点であり、フィヨルドを槍に例えるならばその先端に位置しています。

クルーズのハイライトは標高1500m級の切り立った断崖が両側に迫り、「求婚者」が「七姉妹」に言い寄ろうとして向かい合う「セブンシスターズSeven Sisters」と呼ばれる7筋の滝と「求婚者Suitor」の滝です。

ガイドブックに紹介される多くの写真はフリーダルスユーベ展望台からの景観ですが、お勧めはガイランゲル村から7㎞離れたダルスニッバ展望台です。残念ながら今回は雪景色でしたが、この地に立つと氷河の浸食という大自然の営みを実感することができます。

画像: セブンシスターズ

セブンシスターズ

平成21年(2009年)認定
中国の世界遺産 「五台山」

最澄の弟子、円仁も訪れた聖地「五台山」

円仁の「入唐具求法巡礼行記」

旅行記と言えば日本を黄金の国「ジパング」と紹介したマルコ・ポーロの「東方見聞録」と三蔵法師こと玄奘が記した「大唐西域記」が有名ですが、この2つの旅行記に加えて最後の遣唐僧で天台宗を大成させた慈覚大師こと円仁(最澄の弟子)の「入唐求法巡礼行記」も世界三大旅行記の一つです。

「入唐求法巡礼行記」はあまり馴染みがないかも知れませんが、故ライシャワー元駐日大使は「円仁の経歴は、宗教的献身と知的探求と高貴な冒険との驚くべき結合である」と述べ、この旅行記を高く評価していました。

その高僧 円仁が苦難の旅で訪ねた聖地が中国の五台山です。

仏教とラマ教との唯一共通の聖地「五台山」

五台山は中国の仏教聖地であるだけでなく、中国で唯一、仏教とラマ教の2つの宗教を兼ね備えた道場であるため、チベット族や内モンゴル族からも崇敬されています。

五台山は避暑地としても知られ、」別名「清涼山」とも呼ばれていますが、5つの峰が聳え、その5つの峰の頂が平らで広いことから「五台」と称されています。

5つの峰の外側は台外と呼ばれ、五台山の中心は台内の台懐鎮です。
五台山を訪ねる目的はもちろん仏教の聖地としての主要な古刹巡りです。

画像: 五台山 顕通寺

五台山 顕通寺

五台山のみどころ

通常の観光では五台山最古の寺院である顕通寺や大白塔が聳え立つ塔院寺等を参拝します。

私はまだ、中国旅行が今日のような隆盛でなかった頃に訪ねましたので、道も整備されておらず、五台すべてを回ることはできませんでした。

しかし、東台(望海峰)からの日の出は筆舌につくせないほど美しかったことは鮮明に覚えています。

現地の先達によれば、
・西台(掛月峰)からは秋の夜の月見、
・南台(錦繍峰)からは草花の観賞、
・北台(葉闘峰)からは雪景色、
・中台(翠石峰)は天体観測に最適
と説明していました。

世界遺産とりわけ文化遺産を訪ねる旅では、通常の観光ガイドより先達のような現地事情をよく知った人の同行をお勧めします。

また、事前に円仁に関する「円仁求法の旅」玉城妙子著のような本を読んで五台山を回ると円仁に対する理解が深まると思います。

画像: 五台山からの眺望

五台山からの眺望

平成22年(2010年)認定
オランダの世界遺産「アムステルダムの環状運河地域」

日本ともゆかりの深い水の都アムステルダム

鎖国時代に長崎の出島を通じて通商

鎖国政策をとっていた江戸時代、日本と国交のあった国としては、朝鮮通信使の韓国が知られていますが、西洋文化をもたらした唯一の通商国としてはやはりオランダです。

小国ながら17世紀の大航海時代、貿易の中心地として海運業のみならず、芸術や科学の分野でもめざましい発展を遂げ、長崎の出島を通してその進んだ西洋文化を紹介しました。

オランダは国土の4分の1が海面下にあり、オランダの歴史は水との闘いで「神は地球を造ったが、オランダはオランダ人が造った」と言われるのもうなずけます。

そこで今回はオランダの首都であり、オランダ人がアムステル川に堤防(ダム)を築いて造った「アムステルダム」の世界遺産“シンゲル運河の内側にある17世紀の環状運河地域”をご紹介します。

画像: 水の都 アムステルダム

水の都 アムステルダム

東インド会社設立で黄金時代を迎える

アムステルダムはその昔は小さな漁村でしたが、16~17世紀に運河が整備されると海運を活かした港湾都市として発展し、東インド会社の設立を機に世界の貿易拠点として繁栄しました。

アムステルダム旧市街は東京駅のモデルにもなった中央駅を中心に5本の運河が弧を描いており、ライチェ通りからファイゼル通りにかけてのゴールデンカーブと呼ばれる地区には、黄金時代の華麗なレンガ造りのカナルハウスが多数並んでいます。

アムステル川にかけられた橋の中でも絵になる「マヘレの跳ね橋」は、大型船の航行を可能にした17世紀創建の木造の跳ね橋で、夜のイルミネーションは必見です。

地名の由来になったダム広場は13世紀にアムステル川をせき止めた地点ですが、その西側にある王宮の彫刻を観察すると、蛇や象など異国的なものが多く、当時のオランダが世界中に進出していた歴史を物語っています。

画像: マヘレの跳ね橋

マヘレの跳ね橋

水と戦い水とともに生きるオランダ

その歴史的経緯からかアムステルダムは「アンネの日記」で知られるように移民に対して寛容でした。世界を見聞した人々の見識がこの町を自由で寛容にしたのだと思います。

今日、運河めぐりの遊覧船に乗ると、28個の鐘からなるカリヨンで知られるムント塔などの伝統的な建造物も多く見ることができますが、「舟の家」と呼ばれるハウスボートなど、美しい街並みだけでなく水と戦い水とともに生きる人々の営みも観察していただきたいと思います。

なぜなら、水と闘い海に生きたオランダ人によって日本に貴重な西洋文化が伝えられたからです。

画像: ムント塔と暮れなずむ運河

ムント塔と暮れなずむ運河

平成24年(2012年)認定
ブラジルの世界遺産「リオデジャネイロ」

「リオのカーニバル」で世界的に有名な太陽の楽園

山と海との間のカリオカの景観群

2014年のワールドカップ・ブラジル大会は、7月14日にドイツの優勝で幕を閉じました。残念ながら開催国のブラジルは準々決勝でエースのネイマールが負傷するというアクシデントもあり、準決勝でドイツに大敗しました。

そこでここではサッカー王国ブラジルの再起を祈念してブラジルの世界遺産「リオデジャネイロ、山海に挟まれたカリオカの景観群」をご紹介します。

リオ・デ・ジャネイロはワールドカップ決勝戦が行われたマラカナン・スタジアムで有名ですが、世界三大美港の一つで、天然の良港グアナバラ湾と湾岸のすぐそばまで迫っているいくつもの丘、そしてその間を埋めるような高層ビル群が並ぶ、自然と都会が共存している美しい街です。

リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroとはポルトガル語で「1月の川」という意味ですが、これは1502年、ポルトガル人探検家がこの地グアナバラ湾に到達したのが1月で、この湾を大きな川と勘違いしたことから命名されました。

また、この街やこの街で生まれ育った人とのことを「カリオカ」と呼びますが、これは当時のポルトガル人が皆、白壁の家を建て、それらの「白い家」を先住民トゥピ族の言葉で「カリオカ」と呼んだことが由来です。

画像: リオ・デ・ジャネイロ

リオ・デ・ジャネイロ

サンバのカーニバルと「ポン・デ・アスーカル」

リオと言えばやはりサンバのカーニバルが有名ですが、「カリオカ」たちには「リオを見て生き永らえよ」という言葉もあって、このカーニバルを見ていると生きることの素晴らしさを感じさせてくれます。

観光では市街を見下ろす標高710mのコルコバードの丘に立つキリスト像や「砂糖のパン」という意味の「ポン・デ・アスーカル」頂上からの眺めは見逃せません。

また、ブラジルは南米で唯一のポルトガル領だった国で、そのポルトガル統治時代の面影を残すセントロ地区のサン・ベント修道院やサン・ホセ教会等を巡ると歴史を感じることもできます。

目の保養をしながらのんびり過ごすのであれば、カリオカたちにも人気のイパネマ・レブロン海岸コパカバーナ海岸がお薦めで、ヤシの実を割ったジュースやマテ・コン・リモという名物のドリンクを飲みながら、太陽の楽園を満喫できます。

「サンパウロの人は仕事で忙しく、リオの人は遊びで忙しい」と言われますが、この陽気で楽天的な人たちに囲まれているとカーニバルを見ずとも生きる活力が湧いてきます。

画像: コパカバーナ海岸

コパカバーナ海岸

平成もあとわずか…

ここ数年で制定された日本の世界遺産と言えば…
・平成25年(2013年):富士山~信仰の対象と芸術の源泉~(文化遺産)
・平成26年(2014年):富岡制糸場と絹産業遺産群(文化遺産)
・平成27年(2015年):明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(文化遺産)
・平成28年(2016年):ル・コルビジェの建築作品~近代建築への顕著な貢献~(文化遺産)
・平成29年(2017年):宗像・沖ノ島と関連遺産群(文化遺産)
・平成30年(2018年):長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連文化遺産(文化遺産)
などが、記憶に新しいところです。

画像: 富岡制糸場

富岡制糸場

画像: 宗像大社 沖津宮

宗像大社 沖津宮

新しい元号を迎える今年、日本で新たに認定される世界遺産は誕生するでしょうか。
終わり往く平成を振り返りながら、世界遺産に思いを馳せていただけたなら幸いです。

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