日本遺産とは
「日本遺産」とは、地域の文化財や歴史的特徴を活かして日本の文化・伝統を語る“ストーリー”を文化庁が認定したものです。
日本遺産構想のきっかけは、日本で暮らしているイギリス人のデービッド・アトキンソン氏で、彼は日本の神社仏閣に何度も足を運んでいるうちに、「外観はすばらしいが、ただそれだけだ」と感じるようになったと言っています。
そして、もしその建立された経緯や今日に至る歴史などを知れば、それらの神社仏閣に対する興味がもっと深まったのにと残念に思ったそうです。
アトキンソン氏の所見は私も同感で、いくらその土地に歴史があり、伝統文化が息づいていても、それを知らなければ何の感動も得られません。
日本各地には国宝をはじめとする多くの価値のある文化財が残っていますが、これまでは文化財保護が優先され、先祖伝来のものを大切にする反面、鑑賞するには不便な状態でした。
私はストーリーを設けて文化財を面としてアピールする「日本遺産」を契機に、文化財の素晴しさを改めて再認識できれば、日本人の意識も高まり、日本全体が元気になっていくのではないかと考えます。
「日本遺産」を学ぶ
この記事では、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリーに対する私自身の所見を述べた記録です。
人々の価値観は時代と共に変化し、旅の在り方も変化しつつあります。しかし、どれだけの人が本当の「旅」をしているのか、私は疑問を抱いています。
旅の目的が観光であろうと視察であろうと、訪れた土地の生活文化を知り、日本人として先祖伝来の伝統文化を振り返ることはとても重要です。
そこで、この「日本遺産」のストーリーを学ぶことによって、自らの旅を豊かにしたいと思います。
~~「日本遺産」を楽しむコツをご紹介!~~
江戸庶民の信仰と行楽の地~巨大な木太刀を担いで「大山詣り」~
日本遺産ストーリー 〔伊勢原市(神奈川県)〕
大山詣りは、鳶などの職人たちが巨大な木太刀を江戸から担いで運び、滝で身を清めてから奉納と山頂を目指すといった、他に例をみない庶民参拝である。
そうした姿は歌舞伎や浮世絵に取り上げられ、また手形が不要な小旅行であったことから人々の興味関心を呼び起こし、江戸の人口が100万人の頃、年間20万人もの参拝者が訪れた。
大山詣りは、今も先導師たちにより脈々と引き継がれている。
首都近郊に残る豊かな自然とふれあいながら歴史を巡り、山頂から眼下に広がる景色を目にしたとき、大山にあこがれた先人の思いと満足を体感できる。
大山の「石尊信仰」と国学者、権田直介
大山は、山頂の石を神として敬う「石尊信仰」に仏教の「不動尊信仰」が加わった霊地でした。
4~5世紀には大陸から平塚や大磯に渡来した人々が、眼前の威厳ある大山を見て「アーブリ、アーブリ(我が祖先の霊魂の鎮座する聖なる山よ)」と呪文を唱え、聖なる霊峰として崇めるようになり、そこへ755年、奈良東大寺の別当、良弁僧正が聖武天皇の勅許を得て、山腹に雨降山大山寺を建立、山頂には阿夫利神社を建てて神仏を共に信仰する山岳宗教の聖地としました。
特に鎌倉幕府を開いた源頼朝は、石尊大権現及び不動尊を深く信仰し、「武運長久」を祈願して太刀を奉納したのです。
これが後の「納太刀」の起源です。
戦国時代には小田原北条氏が大山の僧兵と組んで豊臣秀吉の小田原攻めに対抗するも、敗北して家康の軍門に降り、そして職を失った僧兵が後の大山講の先導師となったのです。
文化庁が認定したストーリーは、主として江戸時代に行われた農民の五穀豊穣や雨降り祈願、漁民の豊漁や航海安全祈願を中心とした庶民参拝で、当時の様子は歌舞伎や浮世絵としても取り上げられています。
大山阿夫利神社と大山寺
しかし、現在の大山は参詣というより、観光や登山客のほうが多いようです。
さらには多くの人が大山と言えば阿夫利神社と思っているようにも見受けられます。
実際は、奈良時代に良弁が大山寺を開創して以来、明治までの1112年間は仏教が大山を支配しており、本来は神仏両詣の信仰の山なので、神だけとか仏だけではなく、両方を詣でるべきだと思います。
明治の神仏分離により大山寺は廃寺となり、大きなダメージを受けましたが、国学者、権田直助とそれに従った先導師(御師)たちの努力によって、ようやく江戸時代から続く大山信仰の存続を図ることができたのです。
また、権田直介は読みにくかった日本語表記における句読点の必要性を説き、1887年に『国文句読考』を出版するも、同年に風邪をこじらせ、自らの出版物を見ることなく、この世を去っています。
今日、句読点を活用して日本語を読みやすくしてくれた恩人でもあり、大山信仰を再興した功績からも、権田直介のストーリーこそ心に留めていただきたいです。
大山山頂の奥の院 三社
そこで、私は本筋の大山詣りで阿夫利神社下社から山頂の石尊大権現を拝するために、登拝門より本坂の28丁目の頂上を目指しました。
標高1252mの頂上からは江の島だけでなく富士山も見ることができました。
早速、本社の祭神である大山祇神、摂社の奥宮の大雷神、前社の高龗神(水を司る)を参拝しましたが、本社の下には磐座があり、これが石尊のご神体で青い石と言われています。
帰りはもちろん大山寺も参拝し、鉄造の不動明王と二童子像を拝してきました。
この大山寺は本堂の彫刻も見事です。
向拝(ごはい)前面の彫り物は、源頼朝と親交のあった反骨の僧「文覚上人像」で、熊野の滝に打たれて苦行をしている姿と言われています。
また、向拝の左右の彫り物は中国の故事にちなんだもので、高価な壺に落ちた幼児を助けるために壺を割ろうとしている姿と割った壺の中から幼児を迎える姿が彫られており、人命の尊さを教えています。
今日の大山詣りは阿夫利神社が中心ですが、私はケーブルカーで途中下車してでも、是非、大山寺にも参拝していただきたいと思います。
日本遺産の主要な構成資産
・阿夫利神社(現・大山阿夫利神社)
山頂に石尊大権現を祀り、大山寺とともに大山詣りの目的地でした。
・大山寺
明治の神仏分離までは現在の大山阿夫利神社の下社がある位置にあり、大山詣りで納め太刀を奉納
した寺
・鉄造不動明王及び二童子像〔国の重要文化財〕
大山寺の本尊で鎌倉時代に願行上人により造られ、大山詣りの目的の一つでした。
・霊山寺(現・宝城坊、通称:日向薬師)〔本堂・建造物は国の重要文化財〕
神仏分離で霊山寺(りょうぜんじ)から宝城坊となる。厨子に納められている本尊の薬師三尊像な
ど国の重要文化財に指定された仏像が多く祀られています。
・大山こま
大山の木地師により製作された金回りが良くなるという縁起物の土産
・豆腐料理
豆腐料理は各地の大山講中から寄進された大豆と大山の清水で作られました。
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