作曲家マーラー
マーラーは当時ハプスブルク家の支配下にあったチェコの小さな村カリシュトで、1860年に生まれました。その後近くの都市イーグラウに移って幼少・少年期を過ごし、15歳の時にウィーン楽友協会音楽院(現ウィーン国立音楽大学)に入学し、さらに17歳の時にウィーン大学で作曲家ブルックナーから和声学についての講義を受け、音楽家への道を着実に進みました。
まずは指揮者として
マーラーは23歳の時にまずは指揮者として出発します。カッセル、プラハを経てライプツィヒ歌劇場の指揮者になり、28歳の時にライプツィヒで交響曲第1番(第1稿)を作曲しました。その後ブダペスト王立歌劇場の音楽監督に、30歳の時にハンブルク歌劇場の音楽監督に就きました。マーラーが作曲に専念するために自然豊かな地を選んで夏期を過ごすようになったのは、ハンブルク時代からです。
交響曲第2番と3番
マーラーはハンブルクにいた1893年~1896年の夏、ザルツブルク近郊のアッター湖畔の街シュタインバッハの小さなホテル「フェッティンガー」に滞在し、作曲するための小屋を建て、早朝から午前中、作曲に専念する日々を送りました。交響曲第2番の第2楽章から4楽章、交響曲第3番全楽章を作曲し、さらに交響曲第1番を改訂(現在演奏されている第3稿)しています。
交響曲第4番~8番
マーラーは、1897年、ウィーン宮廷歌劇場(現国立歌劇場)の音楽監督に就任、1898年にはウィーン・フィルの首席指揮者も兼務、拠点をウィーンに移しますが、1900年~1907年の8年間の夏は、オーストリア南部のヴェルター湖畔の街マイアーニックに別荘を構え、その裏山に小屋を建て、交響曲4番~8番を作曲しました。
「大地の歌」と交響曲第9番
マーラーはウィーンを去った後、ニューヨークで指揮者としての活動を続けますが、1908年~1910年の3年間の夏は、作曲のためには当時はオーストリア領だったイタリア北東部の山地ドロミテのトプラッハで過ごし、やはり小さな小屋に籠もり、交響曲「大地の歌」、交響曲第9番、交響曲第10番(未完)を書き上げました。
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