そして夏の音楽祭期間中は、正装した人たちが会場を行き交う独特の華やいだ雰囲気の中で、日本では決して味わうことのできない素晴らしい音楽体験を約束してくれることでしょう。
世界遺産にも登録されているザルツブルクの歴史地区のみどころをご紹介します。
教会国家ザルツブルク
ザルツブルクは約1000年、大司教が支配した教会国家でした。
大司教はカトリック教の法王や法王の最高顧問である枢機卿に次ぐ高位聖職者で、広大な領地と様々な権利が与えられ、完全に独立した一国家の君主として聖俗の両面で絶大な権力を握っていました。特にザルツブルクの大司教は、塩や金銀などの豊富な資源に恵まれ、莫大な財力を背景に要塞や宮殿を築き、強力な軍隊も備えていました。
歴代の大司教の中、5人が枢機卿であったことも、権力の大きさがうかがわれます。
大聖堂
大聖堂は、ドイツ語で「ドーム」と言われ、元来「神の家」を意味するので「司教座聖堂」と訳されるのが正しいかもしれません。
司教座とは司教の座る椅子の意味で、その司教座のある「ドーム」が司教の聖職を司る場所になります。
権力の象徴でもあるドームは建物の規模も大きく、ザルツブルクの大聖堂は、まさに教会国家の象徴でもありました。
◇大聖堂の歴史
| 774年 | ロマネスク様式で建てられた |
|---|---|
| 1598年 | 火災で大部分が焼失 |
| 1614年 | 現在のようなバロック様式で再建が始まる |
| 1628年 | 完成 |
| 1944年 | 爆撃で円蓋が崩落したものの、戦後すぐに再建された |
縦横101mx69m、丸天井の高さが71mの巨大な建造物は、ウィーンのシュテファン大聖堂に次いでオーストリアでは2番目の大きな規模である
◇「モーツァルト」と「大聖堂」
ザルツブルク訪問者の誰もが訪れる場所の一つがモーツァルトの生家ですが、大司教に仕えたモーツァルトは大聖堂のために多数の作品を書いたため、大聖堂はモーツァルト音楽の精神の一面を伝えてくれる重要な場所とも言えます。
| 1703年 | 現在の位置に大オルガンが設置されるようになったが、 幾度となく修復、拡張され、モーツァルトの時代には、オルガンが力強く鳴り響くと、 コウモリが眠りから覚め、丸天井の下を音もなく飛び回る光景が見られたと伝えられている |
|---|---|
| 1779年 | 宮廷オルガニストに就任し、大聖堂のオルガンで自らの作品も演奏 ※1628年に大聖堂が再建された後、本格的なオルガンの製作が始まった |
| 1988年 | 現在の巨大なオルガンが完成(4121本ものパイプから成っている) |
約1万人収容できる大聖堂では、今でもモーツァルトの「戴冠ミサ」などの作品がよく演奏されますが、そのオルガンの響きに耳を傾けるとき、モーツァルトを最も身近に感じることができるかもしれません。
ちなみにモーツァルトは大聖堂で洗礼を受けていますが、当時の洗礼盤は今でもそのまま残っています。

大聖堂広場のバロック噴水(提供/山本 直幸)

大聖堂内のモーツァルト洗礼盤(提供/山本 直幸)
聖ペーター教会
アルプスの北でいち早くキリスト教の洗礼を受け、1000年の大司教支配が続いたザルツブルクには、所狭しと数多くの教会が建ち並んでいます。
一番重要な教会は大聖堂ですが、一番古い教会がモーツァルトにゆかりのある聖ペーター教会です。
◇聖ペーター教会の歴史
696年までその歴史が遡る聖ペーター修道院と並んで巨大な建物群が大聖堂に隣接していますが、教会の建物は9世紀に建てられ、火災で倒壊後、12世紀にロマネスク様式で再建され、さらに17世紀に現在のようなバロック様式に改築されました。
| 1769年 | モーツァルトは、後に修道院長になる幼なじみの ドミニクス(モーツァルト生家の家主ハーゲナウアー家の4男)が、 修道院に入って最初に行うミサのために、通称「ドミニクス・ミサ」を作曲 |
|---|---|
| 1783年 | モーツァルトがウィーンからザルツブルクへ帰郷した際に、 大作「ハ短調ミサ」を初演したのが聖ペーター教会である |
父と姉の承諾を得ずにウィーンでコンスタンツェと結婚したモーツァルトは、冷え切ってしまった親子、姉弟の関係を修復したいという願い、長男誕生という嬉しい知らせをお土産に、帰郷を決意しました。
約3ヶ月のザルツブルク滞在中の様子は、あまりよく知られていませんが、ウィーンで喧嘩別れしていた大司教が、モーツァルトの帰郷を黙認したこともあり、旧友たちと楽しく過ごすことができたようです。
「ハ短調ミサ」の初演は、ザルツブルクを発つ前日の10月26日、モーツァルトは宮廷楽団の応援も得て、ソプラノのパートを歌うコンスタンツェの晴れの舞台を演出するかのように、自ら指揮をして演奏しました。
結局これがザルツブルクとの別れの演奏会になりました。
父と姉との関係修復という願いは実らずにザルツブルクを去ったモーツァルトは、4年後に亡くなった父の葬儀にも出席せず、姉と再会もしませんでした。
二度とザルツブルクの地を踏むことはなかったのです。
ちなみにモーツァルトはこの帰郷に際しても意欲的に作曲に取り組んでいます。
例えば大司教から依頼された曲を病気で作曲できずに困っていた友人、ミハエル・ハイドンを助けるために、「ヴァイオリンとヴィオラのための2つの二重奏曲」をわずか数日で書き上げたとか、ウィーンへ戻る途中立ち寄ったリンツで、急遽出演することになった演奏会のために交響曲「リンツ」をわずか4日間で作曲したとか、天才モーツァルトならではのエピソードも伝えられています。

聖ペーター教会(提供/山本 直幸)

聖ペーター教会内部(提供/山本 直幸)
モーツァルト家の墓所
モーツァルトはウィーンで亡くなり、その遺体の存在は未だに不明ですが、ウィーンで埋葬されました。
ザルツブルクには、聖セバスティアン教会の墓地に父レオポルトと妻コンスタンツェの墓所があり、聖ペーター教会の墓地に姉ナンネルの墓所があります。

モーツァルト家の墓所(提供/山本 直幸)

モーツァルトの生家(提供/山本 直幸)
文責:山本 直幸
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\\\催行決定///
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同行講師のご紹介

山本 直幸講師
講師:山本 直幸氏
ベルリン留学中6年間、オペラ・コンサート通いの日を送る。
特にヨーロッパの歴史や音楽・美術への造詣が深く、長年音楽旅行企画に携わり、ツアーにも同行し現地で案内役も務める。
海外添乗・駐在日数は4,000日以上。音楽雑誌等に音楽旅行記事を多数寄稿。
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<東京>TEL:03-4335-6239
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